久保の家
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紫の”房”

獅子舞

高杜神社の例大祭の宵宮祭りでは、高杜神社に向かって灯籠行列を繰り出す前に、公会堂で獅子舞(獅子神楽)を披露します。
 上座には氏子総代さんが座り、下座に区長さんと代理区長さんが座って見守ります。

舞い方は三段に分かれ、一段目は前役が獅子頭を被り後役が幌を両手で持ち上げ、笛と太鼓、鉦のお囃子に合わせて舞う「幌舞い」、 二段目はお囃子に太鼓の唄が加わり、前役が『鈴』と『御幣』を持ち、後役は幌を絞って肩に掛けて舞う「御幣舞い」、最後の三段目は後役も幌に入って舞う「大舞い」で構成されています。
獅子舞 獅子舞


『鈴』の”房”

鈴と房  久保の獅子が「御幣舞い」で持つ『鈴』には紫色の”房”が付いています。

古来、紫色は高貴な色とされてきました。
 現在でも格式を重んじる大相撲の行司は、階級によって装束と軍配の房の色が厳格に決められており、横綱格立行司の木村正之助だけが総紫の”房”で、立行司・式守伊之助の”房”は紫と白、三役格の行司は朱、幕内格の行司は紅白とされています。

行司の軍配と同様に、高杜神社に奉納する獅子舞で用いる『鈴』の”房”の色も決められており、久保区の獅子が持つ『鈴』の”房”は、横綱格立行司と同じ紫色とされてきました。
 それは久保区が高杜神社の宮元として永く仕えてきたことから、特別に許されたのだと伝えられています。
久保区の幌舞い 久保区の御幣舞い

朱色の”房”

久保区以外では、神社の運営に大きな貢献のあった紫区と、宮元である荒井原区には、三役格の行司に相当する朱色の”房”が許されてきました。
紫区の獅子舞 荒井原区の獅子舞

ところが最近、厳格に守られてきた『鈴』の”房”の色に関するしきたりが守られなくなり、従来は朱色ではなかった区の”房”がいつの間にかみんな朱房になっています。
堀之内区の獅子舞 水中区の獅子舞
赤和区の獅子舞 堀之内、水中、赤和の各区の獅子舞

これは、(財)自治総合センターの一般コミュニティ助成事業によって『神楽殿(御輿)』を新調した際に、太鼓や幕などと一緒に『鈴』も新調し、このとき『鈴』の付属品として付いてきた朱色の”房”をそのまま使っているのが原因だと思われます。
コミュニティ助成による新調 ←久保区で新調した『鈴』など
 実際、平成20年に久保区が同センターの助成を受けて神楽殿を新調したときも、発注者はこうしたしきたりを知らずに発注したため、納入された『鈴』の”房”は朱色でした。 ところが完成披露の直前に先輩から間違いであることを指摘され、急遽、従来使用していた『鈴』から紫の”房”をはずして付け替え、獅子舞をしたという経緯があります。

堀之内、水中、赤和の各区の氏子総代さんや獅子神楽を運営する役員さんも、『鈴』の”房”の色についてのしきたりをご存じなく、久保区同様、業者に”房”の色を指定せずに注文されたのでしょう。
 また、しきたりをご存じの方が”房”の色違いに気付かれても、助成金で新調できた上に、平幕から三役に昇格するのですから、汚れて糸のほつれた古い”房”に付け替えるような面倒なことはせず、付いてきた新しい”房”のまま使うのを黙認しておられるのかもしれません。

従来から”朱房”を使っていた荒井原区と紫区や神官さんから指摘がなければ、このままずっと久保区以外はみんな三役格ということになりそうです。


獅子舞の伝承

獅子神楽

獅子神楽は獅子頭を神体として各地を巡って祈祷やお払いを行う獅子舞の一種です。
 伊勢神宮の神人が各地を巡って(回檀)、神札を配り、竃祓いや村の辻での悪魔祓いとして行った神楽は伊勢大神楽・代神楽とも呼ばれ、回檀先の多くの村々に移入され、それらは伊勢太神楽系の獅子舞と呼ばれています。


伝承

文化4年(1807年)に水沢・中善組が獅子神楽を奉納したと記録されています。
 この年に堀之内組は屋台のみを奉納し、後年には獅子囃子を奉納しています。

文政10年(1827年)には堀之内、水沢・中善、久保、上赤和、荒井原、紫の各組が獅子神楽を奉納したと記録されています。

安政3年(1856年)に下赤和組が神楽殿を製作し、最近まで使われていました。保管箱には棟梁・亀原和田四郎と関係者の名前と製作年が記載されています。

明治5年(1872年)頃、堀之内の越三十郎、黒岩伝之助、梨本豊治諸氏が、保科村赤野田(現・長野市若穂保科赤野田)の力士・高の星の教授を受けて堀之内に持ち帰り、当時の若者、藤沢義太、原房治氏等に教えた「蚤取り獅子」が今日に伝えられたといわれています。
蚤取り痒い痒いなあ 高みの見物
 ちなみに赤野田神社太神楽は伊勢太神楽系統の獅子舞で、現在、長野市の選択無形民俗文化財に選定されています。

水中、久保、赤和、荒井原、紫の各区は、明治10年(1877年)頃に豊洲村北小河原(現・須坂市小河原)の佐藤宇三郎を招いて指導を受け、正式に奉納するようになったとのことです。

以降、各地区から毎年奉納されてきましたが、昭和30年代の半ばから獅子舞をする若衆組織の維持が困難になってきました。 このため昭和43年の例大祭には荒井原、紫、堀之内からの神楽奉納がありませんでした。
堀之内のお囃子 赤和区の獅子舞い
 その後、保存会で神楽・獅子舞を伝承するようになり、最近は女性の獅子舞やお囃子も見られるようになってきました。

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参考にさせていただいた資料


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