久保の家
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水に流れた砂防ダム

戸狭

平成20年(2008年)、久保川上流の戸狭原(とばさんはら)に「砂防堰堤(えんてい)」(通称「砂防ダム」)を建設する計画が発表されました。
 この砂防ダムが完成すれば、土砂災害を未然に防いで久保区民の生命・財産を守るはずでした。

←月生山と戸狭原


ハザードマップ

平成27年(2015年)8月、高山村から全戸に災害ハザードマップが配布されました。

高山村ハザードマップ
ハザードマップ解説

↑ハザードマップ(部分)に地名を追加

●注意事項(抜粋)
1)災害ハザードマップは、洪水及び土砂災害による被害を最小限に留めるために、避難方法や災害情報を住民の皆さんにわかりやすく提供することを目的として作成されたものです。
2)この災害ハザードマップは、100年に1回程度発生する大雨が降ったことを想定し、河川が氾濫した場合の浸水想定区域や土砂災害警戒区域などを示したものです。
(以下略)

警戒区域

戸狭地籍の標高約610m地点から約700m地点までの赤線に囲まれた長さ約500mの長方形が『土砂災害特別警戒区域(レッドゾーン)』に指定され、”流出した土砂によって、家が破壊される可能性がある範囲”となっています。
 ここから北東に広がる久保地区と水中地区の大部分を含む青線に囲まれた範囲が「土石流」による『土砂災害警戒区域(イエローゾン)』に指定され、”流れた土砂が到達する可能性がある範囲”となっています。

戸狭地籍の北側にある十々木(ととき)地籍の南東端にも短い『土砂災害特別警戒区域(レッドゾーン)』が指定され、そこから久保川流域全体に『土砂災害警戒区域(イエローゾン)』が指定されています。
 また水中地区を流れる樽沢川上流の大窪地籍と滝ノ入り地籍にも『土砂災害特別警戒区域(レッドゾーン)』が指定され、ここから流出した土砂が到達する可能性のある『土砂災害警戒区域(イエローゾン)』に久保地区の一部が指定されています。


地形と自然災害

地形と特徴

やっくらとフクジュソウ

北信五岳を正面に望む上野と大窪地籍は平均斜度が100分の13の北西向き斜面で、耕作地の表土は薄く、 耕すほど石が湧いて出て、ちょっと深く耕す角ばった岩屑や一抱えもある石にぶち当たります。
 水利が悪く、大部分が果樹などの畑地で、水田はごく一部です。
 この地で農耕を始めてから今日まで、営々と拾い集めた岩屑を堆く積み上げた「やっくら(八塚)」がリンゴやブドウ畑の周囲を取り囲んでいます。
←岩屑を積み上げた「やっくら」とフクジュソウ、北信五岳

スギとカラマツ林

大窪地籍の地目は畑地ですが、山際はほとんどスギなどが植林された林地になっています。
 大窪に続く緩傾斜の戸狭原は現在スギやカラマツ林になっています。 林の中には大小の岩屑がゴロゴロ転がっていて、かつてはガマが生い茂り「谷地(やち)」と呼ばれる湿地や、カヤなどの採草地、雑木林でした。
←スギとカラマツ林
 戸狭原の突き当たりの「上平(うわでら)」と呼ばれる採草地も現在はスギ林になっています。
 「上平」の奥から傾斜が急な月生山の山腹になり、沢筋は両側から山が迫ってくる険しい谷になっています。 月生山の中腹には久保川源流の滝があり、普段はわずかな沢水が落ちているだけです。


地形のなりたち

信州高山村誌「自然編」によると上野、大窪地籍の地形は「崖錐」だそうです。

がい‐すい【崖錐】:
懸崖や急斜面の上から落ちて来た岩屑が麓にたまってできた半錐形の地形。崖堆。【広辞苑】

また土石流によって運ばれた土砂が堆積してできた地形を「押し出し地形」「沖積錐」「土石流扇状地」とする資料もあります。

沖積錐とは何か?
・面積200km2より小さな小型の扇状地
・沖積錐では土砂の運搬様式が土石流
・沖積錐が形成されている山麓では、将来も土石流の危険があると考えられる 千葉大学

いずれにしても、戸狭・大窪・上野地籍は、太古の時代から繰り返し発生した土砂崩れや土石流で月生山から押し流された岩屑や土砂が堆積してできたと考えられます。


自然災害

大雨の激流 土砂崩れ

渇水期には水量の少ない久保川が台風などの集中豪雨では激流に変わり、山から崩れてきた岩がゴロゴロと川底を流れ下ります。
 2006年7月20日に久保川右岸の山の斜面が崩れ、久保川の水を堰き止めて小さなダムができましたが、幸い、土石流は発生しませんでした。

災害復旧工事 改修された法面

2008年8月16日に集中豪雨があり、基盤整備事業で十々木入地籍に築かれた高い土手が崩れて久保川に押し出しました。
 局地的な降雨だったようで公的な降水量計には記録がなく、時間雨量20mm以上という「異常な天然現象」に該当したと判断できなかったとかで農地災害復旧事業の認定に手間取り、村による復旧工事は年度末の翌年3月になってしまいました。

  電柵修理

上野・大窪・十々入地籍の耕地を取り囲んでイノシシやクマ、サルなどの侵入を防止している有害獣防護柵は、久保川にヒューム管を埋設してその上に金網を張って水だけ流し、有害獣が容易に通らないようにしています。
 2013年10月には豪雨で流されてきた倒木が金網に引っかかって柵が破損しました。

←土石流で破壊された電柵の修理(2013年10月14日)


いいつたえ

水中のしだれ桜

水中地区の滝ノ入地籍には全国的に有名な「水中のしだれ桜」があります。
 この木は江戸時代中期の寛保2年(1742年)の水害の後、地元の小淵一族が鹿島神社を祀り、その際に余所から担いできて植えたと伝えられています。

←鹿島神社と「水中のしだれ桜」

水中の浄教寺はもとは水澤原の不動堂の近くにあったが、寛永年間(1629年〜1644年)に山津波で流失したと伝えられています。

また赤和地区の蛇抜地籍は城山南面の土砂崩れによってできたと伝えられています。
 ちなみに土石流災害で多くの犠牲者が出てきた木曽地域では土石流を「蛇抜」と呼ぶそうです。

赤和地区を流れる八木沢川に久保川と樽沢側が合流する地点が堀之内地区で、下流に千本松地区があり、地区名の由来として「昔、二つの山があり、その山に3年間長雨が降って土砂崩れが起こって谷が埋まってしまい、やがてその土地に赤松が多く生えたので”千本松”と呼ぶようになった」と伝えられています。

月生山から北北西と北西に延びた尾根に挟まれた戸狭地籍を地元では「とばさん」と呼んでいます。 二つの尾根が両側から迫って来る様子を折戸で挟んだ形に見立てて「戸挟(とばさみ)」と呼んだものが訛って「とばさん」になったと考えられます。 (明治初期の絵図には「戸挟原」と記されていますが、現在の字名は「戸狭」となっていて、公図等に記入する際に「挟」を「狭」と間違って記入したものが定着したと推定されます。)

「久保」という地名は、周囲より低いところを指す「窪」が元だといわれています。 大窪地籍は大きな凹地であったことから名付けられたと推定され、現在も周囲より一段引くなった凹地があり、土石流でえぐられてできた場所か、旧い久保川の名残の可能性があります。

地形的に久保地区では有史以前から土砂崩れや土石流が何度も繰り返し発生していたと考えられ、自然現象に依る災害にまつわる伝承を調査中です。


砂防堰堤

事業計画

計画位置.jpg

平成20年(2008年)10月2日、久保公会堂において長野県須坂建設事務所と高山村による「久保川砂防えん堤計画に関する説明会」が開かれ、区役員と関係する地権者に対して建設計画の説明があり、計画の内容説明と質疑が行われました。
←【位置図】
(1)事業計画について
 ・堰堤を2カ所建設し、上流は透過型、下流は不透過型とする
 ・工事用道路はW=3mで、現在の道路を利用する
 ・堰堤建設地及び堆積地は県が買収する
 ・工事用道路に使用する土地は借地し、立木補償する
(2)砂防指定地について
 ・砂防堰堤に入る流域全部を砂防指定する
(3)今後の予定について
 ・詳細設計作業を進める
 ・詳細な地形と地質を把握するため測量とボーリング調査を行う
 ・詳細設計後、砂防指定手続きを行う

ボーリング位置.jpg

地形測量範囲とボーリング位置の計画図に2基の堰堤の概要が記されています。
1)標高約703m地点で、久保川右岸の斜面から久保川を横断して戸狭原の中程まで等高線に沿い、そこから上流に向かって”くの字”に折れ曲がった否透過型の堰堤
2)標高約725m地点で、久保川右岸の斜面から久保川を横断して戸狭原の中程まで等高線に沿い、そこから上流に向かって”くの字”に折れ曲がった否透過型の堰堤
←【測量、ボーリング計画図】

砂防指定地

砂防指定地.jpg

久保川の上流に建設する砂防堰堤から月生山の頂上(1,204m)までの渓谷を「砂防指定地」に指定する予定でした。
←【砂防指定地計画図】

「砂防指定地」は土石流や山崩れなどによる土砂災害を未然に防ぐために国が設定した区域です。

○砂防指定地とは・・・
 砂防法(明治30年3月30日法律第29号)第2条に基づき、治水上砂防のための砂防設備を要する土地または一定の行為を禁止し若しくは制限すべき土地として、国土交通大臣が指定した一定の土地の区域です。
○砂防指定地の指定を要する土地(区域)
 主なものは、以下のとおりです。
 [1]渓流若しくは河川の縦横浸食または山腹の崩壊等により土砂等の生産、流送若しくは堆積が顕著であり、または、顕著となる恐れのある区域
 [2]風水害、震災等により、渓流等に土砂等の流出または堆積が顕著であり、砂防設備の設置が必要と認められる区域
国土交通省


自主自衛

平成23年(2011年)、須坂建設事務所から久保区と関係者に対して砂防堰堤計画休止の連絡があり、平成28年(2016年)には中止が決定されました。
 砂防堰堤の必要がなくなったからではなく、一部の地権者の同意が得られないことが理由のようです。

駒場滝ノ入沢砂防堰堤

平成24年(2012年)には駒場地区の滝ノ入沢に大規模な砂防堰堤が完成しました。
 「滝ノ入沢砂防堰堤」
  高=9.0m
  長=119.0m
  貯砂量=5,450m3

←駒場地区に建設された砂防堰堤

平成27年(2015年)には水中地区の滝ノ入り地籍で砂防堰堤の工事が始まりました。
 厄介な地権者との交渉でいつまでも進展しない地区の事業は中止し、計画に協力的な地区を優先して業績を上げてお役所の存在意義をアピールすることを選んだ当然の結果であり、税金の有効利用ということからも妥当性があります。

東日本大震災や各地で発生しいる土石流災害などを受け、自治体で作成している各種ハザードマップに記載されている地名は大部分が新しいもので、旧い小字名や俗名は記されていません。 自然と折り合いながら暮らしてきた先人が名付けた地名には、自然災害と深く関連した、今日でも重要な防災情報が含まれており、後世に伝える貴重な資産です。

土砂災害を未然に防いで久保区民の生命・財産を守るはずだった久保川砂防ダム計画は水に流れ、お役所に非協力的だという烙印を押された久保地区では、今後、大きな土石流災害が発生して犠牲者でも出ない限り県の工事が行われることはなさそうです。
 自分の身は自分で守るしかない住民は、先人が地名に託してくれた警戒情報を忘れずに日ごろから避難経路を確保しておき、あとは大雨が降る度に土石流が発生しないことをひたすら祈るだけです。

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参考にさせていただいた資料

最終更新日 2016年 9月 3日

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