久保の家
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高等官〜勝山信司

高等官の屋敷

屋敷跡の門と土蔵  久保の集落に入ってしばらく進むと、道路の左側に石垣の上に聳える土蔵と立派な門が目に入ります。
 ここは「高等官の屋敷」と呼ばれ、長野県須坂高等女学校長などを歴任した勝山信司(のぶじ)氏の屋敷です。

家紋・違い鷹の羽  白壁の土蔵には勝山家の家紋「丸に違い鷹の羽」が描かれています。

勝山信司

「高等官」とは明治憲法下における高級官吏の階級のことで、明治12年(1879年)に高井野村久保組に生まれ、大正から昭和にかけて各地の師範学校長などを歴任した勝山信司氏が「高等官」でした。

勝山信司  明治12年(1879年)高井野村久保組に生まれ、長野師範学校卒業後、戸倉・屋代小学校の訓導を勤めました。 明治39年(1906年)広島高等師範学校本科英語部を卒業し、岩手・長野・岡山の師範学校教諭を勤め、大正8年(1919年)7月から岩手県師範学校長、大正10年(1921年)9月から栃木県女子師範学校長を歴任しました。
 大正13年(1924年)、須坂町から招かれて須坂高等女学校長に着任、昭和5年(1930年)〜7年(1932年)に屋代中学校長を務めて勇退しました。
 語学・心理学に傾注し、前半は師範教育に、後半は女子青年教育に尽瘁し、昭和30年(1955年)に亡くなりました。

←須坂高女校長時代の勝山信司氏(『写真が語る高井の歴史』より)

評論家・柳田謙十郎は『自叙伝』の中で「勝山さんは信州人で性格も強いが、実に親切で生涯恩義の忘れられない人」と評しているそうです。

高井小学校の教諭を長く務めた山岸善一氏は、教職を勇退した後の勝山信司氏の様子と、信司氏の父・勝山宇三郎氏の残した「村沿革材料蒐集記」を書き写した経緯について記しています。

『勝山信司先生が屋代中学校長を退職されて郷里上高井郡高井村久保の生家に帰省された頃、先生は刀剣や古文書古記録の鑑賞や渉猟に深い興味を持たれていた。勝山家所蔵の古文書古記録類の整理もなされたようであった。父勝山宇三郎氏の手記「村沿革材料蒐集記」の表紙書のある野帳めいた綴りも其当時の掘り出し物であった。
 「これは父の書き残したものだが、明治初年のことが書留てあって、参考になるから君に見せる」
といって私に貸してくださった。
 私は喜んで幾日かかかって書写した。此の内に暴動という見出しで中野騒動のことが断片的ではあるが記載してある。』

久保区民は信司氏のことを「信さん(のぶさん)」、勝山家が所有する山林を「信さんの山」と親しく呼んでいました。


「故郷への便り」

勝山信司氏の子息・信一氏は東北帝国大学医学部に進んで学位を取得し、茨城県で医師を務めました。
 昭和31年(1956年)、勝山信一氏が高山村公民館報に故郷への熱い想いを寄稿しています。

「私が高井の山家を離れたのが昭和十八年だからもう二十年近くの歳月が過去のものとなっているが、然し私達一家にとっては毎日忘れられない高井の土地である。私の此の血の中には高井の土に育まれた或る生気が脈打っているようである。私は高井で生まれ学校を出たのではないのですが、先祖代々の家が高山村の久保にあり、子供の頃から高井の山で野で遊び学び、あの高杜神社の杉並木を自慢に想って暮して来ました。戦争中のあの苦難の時を高井の青年達と村有林の植林、そして炭焼き、勤労奉仕を共にした事も忘れられません。
 『なびきつつ炭焼く煙り上りをる雁田の山は夕づくらし』
と唱ったのもその頃でした。
 父も高井に生まれ遊学し三十余年教育畑で過し、晩年を故郷の地に晴耕雨読の余生を楽しんだ者でしたが、日本中何処の地に住んでもあの高山の台地、松川扇状地の頂点に位置し、善光寺を眼下に西五山、そして遙かに日本アルプスを望見できる地は素晴らしい魅力となって心を故郷の地へ呼び戻させます。
(中略)
 然し、現実に高井の方々が発展進歩的でない様に思はれるのは何故でしょうか?人類の為に人間社会の進歩の為に、個々の人間の幸せの為に、真実の幸せを得る為に私達の全能力を発揮することが私達を生んだ祖先の土に感謝する事となるのではないかと考えるのですが!(後略)」

勝山信一氏は高井に居を構えることはありませんでした。
 信一氏が婚礼の仲人をした人や知人は、「信ちゃん(しんちゃん)」と呼んでいたそうです。


勝山家

勝山家の墓  裏山の中腹にある勝山家の墓地には多数の墓石が並び、古い家系であることが分かります。
 近年立てられた墓石の台石には【違い鷹の羽】の紋が彫られています。

←勝山家の墓地

高等官の屋敷にあった住宅は土蔵と門を残して昭和40年代に取り壊され、屋敷跡は現在ゲートボール場として利用されています。

平成24年7月、横浜市にお住まいの勝山信一氏のご遺族から、屋敷跡の土地と土蔵を高山村に寄贈したいと申し出があり、村内に残る勝山宇三郎家の財産は山林などわずかとなりました。


参考にさせていただいた資料

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