久保の家
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勝山の大石〜『磐座(いわくら)』

勝山の大石
 ↑”勝山の大石”
 古来、高井野に暮らした人々は”勝山”を祖霊の座す山と考え、頂上にある”大石”の上に神が天空から降りてくると信じて暮らし、やがて麓に社を建てて拝むようになったといわれています。


里山の信仰と『磐座(いわくら)』

山を拝む

勝山と高杜神社
 ↑高井野の中心にある勝山と高杜神社

 高杜神社の始源を考えるとき、すぐ目に浮かぶのは、高杜神社の裏の勝山である。
 松川扇状地の中央から東南を望むと、高く連なる灰野(須坂市)境の山並みを背景に、右に上野(久保・水中の間)、左に赤和前(赤和)の小さい扇状地が開けている。 その中央に、低くなだらかにせり出しているのが勝山で、くっきりと目に入る。

灰野峠から見た勝山
 勝山は高社山(中野市・山ノ内町・木島平村、1351.5m)や四阿山(あずまやさん)(上田市・須坂市・群馬県嬬恋村、2354m)のように、高くそびえる山ではない。 ふもとの久保集落との比高100メートル前後のこぢんまりとした里山である。 ここは葉山(端山)かもしれない。
 葉山は、一般に里に近い独立丘状の、「こんもり」した山であり、祖霊の(おわ)す山として信仰された。 のちに祖霊は里を守る神、作神として信仰されるようにもなる。

 勝山の周辺には堀之内の裏の八幡添遺跡や、水中の小布毛(おふけ)遺跡、また荒井原遺跡などがある。 おそらく、その住民たちが最初に勝山を信仰したのではなかろうか。


高杜神社裏山の『磐座(いわくら)』

 古代人は、神は天空を遊泳し、必要があると、山や巨樹・巨岩・巨石の上に降りてくる。 そして、また天界へ帰っていくと信じていたという。 この巨岩・巨石を磐座(いわくら)と呼んでいる。 磐座と呼ばなくても、いろいろな名称のもとに、各地に磐座に類する巨岩があった。

勝山の大石  葉山とみられる勝山の尾根を、高杜神社の南から2、300メートル登った、尾根の先端近くが小丘状になっている。 高杜神社との比高は70メートルである。
 この小丘上に数個の大きな石がある。 最大のものは高さ1.5メートル、幅2メートル余、その大石の前にやや小さめな石がひとつ並び、2メートルほど北にもひとつ転がっている。 中心になる石のまわりに同じくらいの石が2、3個、半ば土に埋まり、あるいは平べったく横たわっている。

←岩石群

 尾根の先端近い小丘上にあるこの岩石群は、高杜神社との位置関係や勝山の性格(葉山)からみても、古代人が信仰した磐座と考えられる。 地元では「大石」と呼んでいるから、古来からなにか神聖・特別視されていたにちがいない。
 古代の人々はこういう巨石の上に神が降りてくるものと信じていたのであり、それを人々は里から拝んでいたのであろう。

勝山と大石
↑勝山の大石(高杜神社周辺の社寺・小字・小名分布図)


遥拝所の建設

高杜神社拝殿  やがてその山麓に社屋(遥拝所)を建て、そこから拝むようになる。
 そのご磐座に宿る神を社殿に勧請(かんじょう)して祭ったのであろう。 それが高杜神社となったのではなかろうか。
 つまり、葉山と考えられる裏山(勝山)の磐座は、高杜神社の祖形と考えられるのである。

←高杜神社拝殿


参考にさせていただいた資料

最終更新日 2022年10月17日

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