久保の家
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圃場整備

水越の棚田 ↑田植えの準備が進む水越地籍の水田と農道、用水路(2010年 5月15日)

古くから久保地区の住民は字十十木(ととき)水越(みずこし)上野(うわの)二反田(にたんだ)中河原(なかがわら)小布毛(おふけ)地籍の傾斜地を開墾し、狭い棚田に平沢用水などから水を引いて稲作を行ってきました。
 昭和60年代から平成初期にかけて水田の区画整備と農道・水路を新設する県営圃場整備事業が実施され、地区の景観が大きく変貌しました。

圃場整備(ほじょうせいび)とは、耕地区画の整備、用排水路の整備、土層改良、農道の整備、耕地の集団化を実施することによって労働生産性の向上を図り、農村の環境条件を整備することである。 農林水産省や都道府県の公共事業として行われる。ウィキペディア


久保地区周辺の圃場整備

久保川に沿って住宅が点在する久保地区では、稲作は十十木・水越・二反田・中河原・小布毛と上野地籍の一部で行われ、耕作面積の半分以上を占める上野地籍は水田潅漑用の水源がないことから大部分が畑作でした。

十十木・水越・上野・二反田・中河原・小布毛地籍の棚田 ↑圃場整備前の十十木・水越・上野・二反田・中河原・小布毛地籍の棚田(1975年 9月25日)

字図久保地区周辺の字図

久保地区の水田地籍 主な用水源と配水
十十木 窪入地籍の湧き水・表流水をため池に貯水して配水
末端で久保川に注水
水越 平沢用水(上堰・下堰)
末端で久保川に注水
上野 久保川から取水した上げ堰から配水
末端で久保川に注水
二反田 八木沢川から取水した用水
末端で八木沢川に注水
中河原 久保川から取水した用水
八木沢川から取水した用水
末端で久保川に注水
小布毛 樽沢川から取水した用水
末端で樽沢川に注水

水越・十十木地籍の圃場整備

高山村では昭和55年度(1980)に大字高井・大字牧の主要水田地帯の圃場整備事業が計画され、昭和56年度(1981)に着工し平成4年度(1992)に完成しまた。
 水越・十十木地籍の圃場整備は久保工区として昭和61年度(1986)から翌62年度(1987)にかけて実施されました。

水越・十十木1975.9.25 水越・十十木2010.6.6
 ↑圃場整備前(1975.9.25)          ↑ 圃場整備後(2010.6.6)

両地籍とも整備前は細長い棚田が等高線に沿うように並んでいたものが、整備後は真ん中を農道が走り、両側に集約された長方形・ひし形の圃場が並んでいます。
 水越地籍はほとんどが水田で、十十木地籍は半分ほどが果樹園と畑地になっています。

竣工記念碑

久保から赤和に通じる林道に設けられている獣害防護柵の門扉の傍に、水越・十十木地籍の圃場整備の完成を記念する「竣工記念碑」と刻まれた石碑が建っています。

竣工記念碑 ←竣工記念碑

 県営圃場整備事業高井地区 久保工区
竣工記念碑
  高山村長 小出清書

竣工記念碑裏面 ←竣工記念碑 裏面

    碑文
 本地区水越 十十木入は かつて狭隘な
湿田地帯であり 近代的農業経営の発展を
阻み 農地の荒廃化を促進してきた
 このような状況に鑑み 生産性の向上を
図るべく県営圃場整備事業が導入された
昭和六一年度に着工し六二年度に完成
 平成四年度に事業のすべてを完成するに
至り 農地の高度利用と機械化農業への基
盤が確立された 未来への農業経営の安定
と地域の発展を期待しつつ 事業の完成を
記念しこの碑を建立して後世に伝えるもの
である
   平成五年八月吉日
    県営圃場整備事業     久保工区委員長 持田武信

 事業の概要
一 着工
 昭和六一年 七月
二 竣工
 昭和六二年 八月
三 事業量
 圃場整備面積 五、三ヘクタール
 道路延長 九〇七メートル
 水路延長 二、五一九メートル
四 事業費  九、五〇〇万円

 関係者
一 工事委員会
  委員長  持田武信
  副委員長 浦野次芳
  委員   宮前芳郎 十々木謙一郎
       宮前米彦 宮前禮太郎
       勝山幸一
二 換地委員会
  委員長  福本泰人
  副委員長 勝山勝
  委員   小山雪志 勝山忠明
       宮前芳郎 岡田宏智
       浦野治男
三 評価委員会
  委員長  勝山裕夫
  副委員長 浦野一郎
  委員   竹前桂太郎 小山文治
四 耕作組合
  組合長  持田武信
  副組合長 勝山裕夫
       宮前禮太郎
  委員   浦野一郎
       勝山忠明
協力業者
  株式会社 須賀尾建設
  株式会社 浦野商会
土地協力者   勝山忠明

石碑の位置←石碑の場所


二反田・中河原地籍の圃場整備

二反田・中河原1975.9.25 二反田・中河原2010.6.6
 ↑圃場整備前(1975.9.25)          ↑ 圃場整備後(2010.6.6)

両地籍とも整備前は細長い棚田が等高線に沿うように並んでいたものが、整備後は十字に農道が走り、集約された長方形の圃場が並んでいます。
 中河原地籍の久保川沿いは大部分が果樹園になっています。


小布毛地籍の圃場整備

小布毛1975.9.25 小布毛2010.6.6
 ↑圃場整備前(1975.9.25)          ↑ 圃場整備後(2010.6.6)

小布毛地籍は圃場の他、農道が多く整備されました。

小布毛遺跡  小布毛地籍では弥生時代後期から稲作を行っていたとされ、圃場整備事業で平安時代末期の遺構が発掘されました。

←小布毛遺跡の標柱


圃場整備後

圃場整備後の久保地区周辺 ↑圃場整備後の久保地区周辺(2010年 6月 6日)

農作業の効率化

田植えが済んだ水越の水田 ↑田植え機による田植えの終わった水越の田圃
 圃場整備後は田起こしから稲刈りまでを大型機械で行うことで生産性が大きく向上し、さらに田植えと稲刈りを営農支援センターに委託する耕作者も多くなりました。

管理

耕作地区ごとの耕作組合が水路の管理、共有地の草刈り、道路と水路の清掃等を行って耕作環境を保全するとともに、耕作放棄地を出さない取り組みと環境維持活動を行っています。
 圃場の面積が拡大して各圃場ごとの段差が大きくなったことから、急傾斜の法面での真夏の草刈りが高齢化の進む耕作者の大きな負担になっています。

共有地の草刈り 耕作組合員の共同作業による水路の管理
←法面の草刈りと水路清掃
共有地の草刈り 高さが5メートルもある急勾配の法面の草刈りは危険が伴う重労働
←共有地の法面の草刈り
耕作放棄地の草刈り 草刈りがされていない非耕作圃場は組合役員が草刈りをして景観を保全
←非耕作圃場の草刈り

非耕作地の活用

中河原二反田耕作組合は久保育成会と共同で、稲作をしていない圃場にソバの種子を播く農業体験を子供たちにしてもらい、収穫したソバをみんなで味わう収穫祭をしています。

ソバ栽培 ←育成会によるソバ播き

蛍公園

蛍公園 ←久保川に沿って作られた蛍公園


完工から30年を経た各地の様子

久保、水中地区

紫、荒井原、堀之内、千本松地区

高井地区竣工記念碑 ←県営圃場整備事業高井地区竣工記念碑

牧、黒部地区


参考にさせていただいた資料

最終更新日 2025年 3月 7日

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