久保の家
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「来てみららねかい」

「来てみららねかい」:”おいでになりませんか”【北信州の方言】

”福寿草と蛍の郷”に伝わる行事と習慣のご紹介です。
どんどん焼きの準備

おらほの行事

「どんどん焼き」(1月)

1月15日に、注連(しめ)飾りやダルマなどの縁起物、書き初めなどを焼く、小正月の伝統行事です。
こちらにどんどん焼きの写真と簡単な解説があります。

やぐら建て
やぐら完成
雪が積もった山に入って木を切り出し、どうろくじん(道祖神)の前まで運びます。
まっすぐな木3本の先を縛って柱を立て、1m位の間隔に横棒を荒縄で縛ってやぐらを組みます。
各家では家の前に稲わら1束とダルマやしめ飾りを出しておき、子どもがそれを集めます。稲わらをやぐらに掛け、ダルマは数珠繋ぎにしてつり下げます。
夜、地区の端から端まで合図の鐘を鳴らして歩き、人が集まると点火します。
かつては子どもの行事でしたが、最近は少子化で親も参加します。
減反政策で水田を作らないお宅が多くなり、稲わらが集まりにくくなっています。
成人の日の祝日が移動制になってから、毎年実施日が変わっています。
「ちさいのはおれが在所のどんど哉」一茶

薪こせ
子どもたちが、どんどん焼きに使った木を薪にして売り歩き、お菓子を買いました。
今は、親が片づけています。
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「久保神社春祭」 (4月)

久保神社
久保神社は、江戸時代には地区の鎮守熊野神社として祀られ、明治41年、高杜神社に合祀されました。
以降は”かいこがみさん(蚕神さん)”と呼ばれていましたが、養蚕が衰退後は、「久保神社」として地区の入口で見守っています。
灯籠貼り(とうろうはり)
区の役員が、花灯籠と1組から7組までの灯籠を貼り替えます。
紅白に染めた和紙をこよりで竹ひごにくくりつけ、花灯籠の傘鉾(かさぼこ)を組み立てます。
幟建て(のぼりたて)
春祭りは4月26日と27日に行われていましたが、最近は土曜と日曜に行われます。
吹き流し
宵祭り当日の早朝、久保神社の吹き流し一対を建てます。
幟竿建て 大幟
高杜神社のお祭りも行われるので、高杜神社の鳥居前に大幟用の幟竿一対を建てます。
「高杜神社」と書かれた大幟は、お隣の小布施町の高井健(号は鴻山)の揮毫によるもので、大きさは五反です。
明治12(1879)年に製作された幟は、貴重な文化財のため現在は複製を使用しています。
小布施町の高井鴻山記念館では、高井鴻山のすぐれた業績を紹介しています。
幟建ては各戸から1名が参加し、全員で力を合わせて行う共同作業です。
宵祭り
夕方、区の役員が公会堂からリヤカーに乗せた神楽を引き、保存会の会員が大小の太鼓、笛、鐘で「道中」囃子を演奏して区長さんのお宅に行き、獅子舞を奉納します。
公会堂で一舞い2010年 4月28日
区長さん宅から公会堂に戻って一舞いします。
道中行列 久保神社礼拝
花灯籠を先頭に、区長、代理区長、1組から3組までの灯籠、神楽、4組から7組までの灯籠の順で、「道中囃子」に合わせて久保神社に向かいます。
途中の家々では、お祭りのお客様が行列を見送ったり、行列の後に続きます。
久保神社に着くと、礼拝した後、拝殿で獅子舞を奉納します。
獅子舞「幌」 獅子舞「御幣」
獅子は2人で舞い、太鼓1人、笛1人、鐘1人がお囃子を演奏します。
前半は「幌(ほろ)」と呼ばれ、2人とも唐草模様の幌に入って舞います。
後半は「御幣(ごへい)」と呼ばれ、獅子頭を被った舞い手が、御幣と鈴を手に持って舞い、太鼓奏者が笛の演奏に合わせて唄います。
お囃子
正統な獅子舞は「二舞い半(ふたまいはん)」と呼ばれ、30分ほどかかりますが、最近は、短縮版の「一舞い半(ひとまいはん)」が舞われ、20分程度で終了します。
この獅子舞は、小河原村(現須坂市)から学んだと伝えられています。
獅子とお囃子の役割は、家ごとに決まっていました。
テープレコーダーもビデオもなかった時代に技能を継承するには、父子相伝が効果的だったからでしょう。
神事
4月27日朝、区長さんのお宅から神主さんと役員がお供えを持って久保神社に向かい、神事が執り行われます。
幟返し(のぼりけえし)
4月27日の夕方、また各戸から1名が参加し、高杜神社の幟竿と久保神社の吹き流し竿を転ばし(倒し)て収納し、お祭りが終わります。
幟転ばし(のぼりころばし)ともいいます。
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高杜神社秋祭(10月)

大幟と花火
秋の例大祭には、11の氏子組の神楽灯籠揃い(とうろうぞろい)が行われます。
各地に大幟が建てられ、門灯籠、提灯が組み立てられます。
神楽殿の前の仮設舞台で6地区の獅子舞が奉納されます。
獅子舞は地区ごとにお囃子と舞い方が違います。
境内は多くの夜店と参詣人で賑わいます。
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大祓(12月)

形代形代
11月23日の高杜神社の新嘗祭で、神官さんから各区長さんに形代が配られます。
年末になると、区長さんから配布された形代を持って各組の組長さんが1軒ずつまわって「大祓」をします。
形代を受け取ると、左胸、右胸、中心と当てた後、息を3回吹きかけて犯した罪や穢れを形代に移し、組長さんにお返しします。
組長さんから回収した形代を持って区長さんは12月30日の大祓祭に出席し、そこでまとめてお祓いをしていただきます。

おおはらえ【大祓】:
 古来、6月と12月の晦日(つごもり)に、親王以下在京の百官を朱雀門前の広場に集めて、 万民の罪や穢(けがれ)を祓った神事。現在も宮中を初め全国各神社で行われる。 中臣の祓。みそぎはらえ。おおはらい。
かたしろ【形代】:
 陰陽師が、みそぎ・祓(はらえ)などに用いた紙の人形(ひとかた)。 これで身体を撫でて災いを移し、川に流した。ひとがた。なでもの。あがもの。俑。 広辞苑

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恵方参り(12月31日〜1月1日)

二年参り 参詣
12月31日の夜は「恵方参り」で「二年参り」ともいいます。
高杜神社の境内では焚き火が焚かれ、新年の挨拶を交わして参詣します。
お神酒を頂戴
参詣がすむと社務所で氏子総代さんからお神酒をいただき、お御籤を引きます。
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お茶講(おちゃこう)(年中)

ご近所さんが集まってお茶を飲み、「お茶うけ」を食べながら情報交換をする、山郷版の井戸端会議です。
「お茶うけ」として、お菓子や漬け物だけでなく、煮染めなども提供されます。
主催者は、どんぶりにお葉漬けや煮染めを山盛りにして並べ、取り箸を一膳添えます。
お客さんは、右手で取り箸を持ち、漬け物や煮物をはさんで左手の手のひらに乗せます。
箸を置いてから、右手の親指と人差し指で楊枝をつまみ、楊枝と中指で漬け物などをはさんでいただきます。
食べ終わったら、手のひらに付いた醤油や煮汁をぺろりとなめ、適当に手を拭くのが正式な?作法です。
ヒンズー教の信者の方がご覧になったら、卒倒しそうな光景です。
町から来たお客さんは、お茶と一緒に出された煮染めをご覧になって「お菓子の代わりにご飯のおかずが出た」といってぎょっとされ、ご飯も出るのかと期待?されます。
ところがいつまでたってもご飯は出ず、取り皿も見あたらないので、自分専用のどんぶりだと思って手元に引き寄せ、取り箸で直接口に運んで食べ始めると、こんどは、主催者がたまげてしまいます。
お互いに「なんてまあ不作法で野蛮な」と思っているらしい空気が漂います。
山郷の住人がたまに町で食事すると、出された漬け物の量の少なさに「なんだ、これっばかしか出さねぇでけちくせぇ」と憤慨するのは、きっとお茶講文化の影響でしょう。
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「北信流お盃の儀(ほくしんりゅうおさかずきのぎ)」(年中)

北信流お盃の儀
宴会のけじめに宴席に招待されたお客様側が主催者側に一献さし上げて感謝の意をあらわす儀式で、通称「北信流(ほくしんりゅう)」と呼ばれ、【松代藩お盃の式】に倣って執り行われます。
・頃合いを見計らってお客様の中で年長者が動議を出し、出席者の賛同を得てから、お酌される人とする人を指名します。
・同時に”お肴(おさかな)”を披露する人も指名します。
・お酌される側とする側が対面し、一杯お酌されると”お肴”が披露されるので、三口位で飲み干します。
・”お肴”としては、通常、「鶴亀」などのおめでたい謡曲が歌われます。
「池の汀(みぎわ)の鶴亀は〜蓬莱山(ほうらいさん)も外(よそ)ならず〜君の恵みぞありがたき〜君の恵みぞありがたき〜」
・この後もう一杯お酌します。
・そのあと、主催者側代表が立ち上がってお礼のことばを述べ、お返しにお客様側に一献さし上げます。
・徳利と杯が入れ替わって同じことを繰り返しますが、”お肴”は主催者側から提供されます。
・小人数の場合には、同じ人が別な謡曲を披露することもあります。
・このとき、動議を出した人にも忘れずにお盃を差し上げます。
・謡曲は江戸時代から真田十万石・松代藩(現在の長野市松代町)の武士の教養として盛んだったそうで、その伝統を受け継ぎ、立派な”お肴”を披露する人がたくさんいらっしゃいます。
・謡曲のほかには、詩吟や”金魚売りの呼び声”なども披露されます。
「きんぎょ〜え〜きんぎょ〜」
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三本締め(年中)

宴会のけじめに行われる儀式です。
年長者の動議で、発声者が指名され、発声者の音頭で手締めが行われます。
当地方の手拍子は、
「いよーっ、シャンシャンシャン、よーっ、シャンシャンシャン」
が一般的です。
地域によって拍手の回数と拍子が異なるので、確認しておかないと恥を掻きます。
同じ北信州でも、中野市周辺では「ションション締め」と呼ぶ手締めが行われています。
「ションションション、ションションション、ショーン、ション」
古くは中山晋平さん、最近では久石譲さんの出身地だけあって、音楽的??

万歳三唱(年中)

万歳三唱
宴会の締めに行われる儀式です。
年長者の動議でお客様の中から発声者が指名され、発声者の音頭で三唱し、主催者は礼をしてお受けします。
次に、所を変えて主催者がお客様に対して万歳を三唱しますが、主催者側はたいがい少数のため、全員で三唱します。
発声者「ばんざーい」、参加者「ばんざーい」、発声者「ばんざーい」、参加者「ばんざーい」、発声者「ばんざーい」、参加者「ばんざーい」
と間をおかずに続けるのが締まった「万歳」のコツです。
手のひらは前に向けないのが正式な作法で、前に向けるのは「お手上げ」です。
結婚式では、司会者の進行でお客様がご両家に対してお祝いの万歳を三唱し、その後、両家からお客様に対してお返しの万歳を三唱して、散会になります。
ところが、このあとさらに出席者全員の健康と繁栄を祈念する万歳三唱をおこなう習慣の地域もあるので、そのことを知らないと、慌ててしまいます。

結婚式の万歳三唱(追加)

このページをご覧になった長野県のNさんから、結婚式の万歳三唱についてもっと詳しく教えて欲しいと電話をいただき、お答えした内容を追加します。
  1. 頃合
    両親へ花束贈呈に続いて両家の代表(新郎側が多い)が挨拶したあと、司会者の進行で万歳三唱をすることが多いようです。
    例:「新郎新婦ならびにご両家のご繁栄をご祈念申し上げ、ご来賓を代表して○○様のご発声で、万歳三唱を申し上げます。皆様どうぞご起立をお願いいたします。」
  2. 万歳三唱
    来賓代表が軽く挨拶し、音頭を取って三唱する。
    例:「このたびは・・・・。ご指名によりまして、来賓を代表して万歳三唱の音頭を取らせていただきます。皆さん声高らかにご唱和をお願いします。
    ●●くん、△△さん、ならびにご両家、万歳(万歳)、万歳(万歳)、万歳(万歳)」
    新郎新婦と両親は頭を下げてお受けする。(一緒にやっても構わないらしい)
    拍手
  3. お礼の万歳
    司会者の進行もしくは両家の代表(新婦方のことが多いようです)が挨拶し、お礼の万歳をする。
    例:「ただ今は○○様のご発声で両家に対してあたたかな万歳を頂戴し、まことにありがとうございました。ここで、ご来賓各位のますますのご繁栄をご祈念申し上げ、両家から皆様方に万歳を差し上げたいと存じます。 つきましては、両家だけでは手不足のため、ご来賓の皆様方のお手もお借りして、声高らかに三唱をお願い申し上げます。」
    例:「ご来賓各位のご繁栄とご健勝をご祈念申し上げ、
    ご来賓各位万歳(万歳)、万歳(万歳)、万歳(万歳)」
    拍手
    このあと、新郎新婦と両親がお見送りのために退室し、お開きになります。
    また、西山地方(長野県の北部で長野市の西側の山間部)では、さらに「ご出席者各位の万歳」もあるようです。

弥栄(いやさか)三唱

神事などが執り行われた後、「万歳三唱」と同様に締めの儀式として行われます。
年長者の動議で発声者が指名され、神殿に向かって発声者の音頭で三唱します。
また高杜神社の例祭の後では神官さんの発生で列席者が三唱します。
発声者「いやさかー」、参加者「いやさかー」、発声者「いやさかー」、参加者「いやさかー」、発声者「いやさかー」、参加者「いやさかー」
「万歳」と同様、間をおかずに続くと締まります。
いやさか【弥栄】:
 1)いよいよ栄えること。「みくにのいやさかを祈る」
 2)繁栄を祈って叫ぶ声。ばんざい。広辞苑
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重箱(年中)

会合の後の懇親会(宴会)の習慣です。
会合の主催者や役員は、漬物や煮しめを詰めた重箱を持っていき、宴会の最中にたらい廻しにします。
出席者は廻ってきた重箱の中から適量を取り箸でつまんで自分の手元に取り、隣に廻します。
最近は仕出屋から大きなオードブルの皿をとったり、個人個人に折り詰めをとることが多いようですが、それでも重箱はなくなりません。
キュウリやナスがたくさん収穫できる季節には、キュウリやナスの漬物ばかりがグルグル廻っています。
中には、この時とばかりに料理の腕を振るう役員の奥さんもおられ、めずらしい料理をてんこ盛りにして、旦那さんに持たせます。
ところが、忙しさで重箱を出すのを忘れてそのまま持ち帰り、でかくとっちめられた、という方もおられます。
この重箱を用意するのが嫌で、役員を引き受けない方もおられるとか。
今は重箱に変わってタッパーが幅を利かせていますが、酒の肴などほとんどない時代の名残でしょうか。
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