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『巨峰』のはなし

《石原センテ》

ふだん『巨峰』として食べているぶどうの品種名が《石原センテ》で『巨峰』は商品名だということをご存じの方はどれくらいいらっしゃるでしょうか。

《石原センテ》は農学者・大井上康氏が静岡県下大見村(現在の伊豆市)の大井上理農学研究所で、1942年(昭和17年)に岡山県産の《石原早生》と豪州産の《センテニアル》を交配して作り出した4倍体品種のぶどうです。 大粒で糖度が高いことから、大井上理農学研究所から見える富士山にちなんで「巨峰」と命名されたとされています。
 大井上康氏は1952年(昭和27年)に亡くなりましたが、後継者によって1953年(昭和28年)に「巨峰」が種苗登録申請されています。
 さらに1954年(昭和29年)には「巨峰」の商標出願(ブドウ果実と種苗)がされ、1955年(昭和30年)に『巨峰』の商標が登録されました(商標番号第472182号)。
 しかし1957年(昭和32年)に「巨峰」の種苗登録は農林省から拒絶されています。 拒絶の理由は「大粒種で果実の品質はよいが花振いのひどいことが多く、かつ、果粒の着色不揃、脱粒し易く輸送力や店持ちが悪い等の欠点がある」という内容でした。 実際、開花したままで生育すると30センチ以上に伸びて粒がまばらな房になり、糖度は低く色も薄いことから新品種に値しないと判断されたようです。

現在は一房を30粒から35粒程度に調整することで重さが400gから450gになり、着房数も制限することによって、糖度が高く濃紫色の立派な『巨峰』が作られています。

『巨峰』

昭和44年、『巨峰』の商標権を所有する株式会社日本巨峰会が、『巨峰』の文字を付してぶどうを出荷していた長野県経済連(現・全農長野)、中野市農業協同組合、塩田町農業協同組合を訴えました。
 日本巨峰会は「ぶどうの『巨峰』を販売するには同社の指定する包装箱を用いること」として、表面に『巨峰』と大きく表示されている箱を生産者に販売していました。
 これに対して長野県経済連は、『巨峰』の房の写真と『巨峰』の文字を大きく入れ、長野県経済連の名称も小さく印刷した包装箱を独自で製造して組合員に安価で販売しており、これに対して日本巨峰会が『巨峰』の使用差し止めと損害賠償を求めたものです。

裁判の過程で農水省の役人が「巨峰の名称は農産種苗法による品種登録はされていないが、市場では品種の名称扱いである」と証言し、裁判官が「巨峰というぶどうの品種名は何ですか」と原告に聞いたそうです。 結局『巨峰』は登録商標ではあるが、消費者は《デラウェア》のような品種の名称と思っており普通名称化しているということになり、中野市農業協同組合と塩田町農業協同組合に対する訴えが取り下げられ、長野県経済連と日本巨峰会の間で和解が成立しました。

平成14年には、株式会社日本巨峰会から商標『巨峰』の専用使用権を受けた昭和貿易株式会社が、ぶどう出荷用包装資材に「巨峰」と表示して販売した福友産業株式会社に対して製造販売の差止めを求めた裁判がありました(いわゆる「第2巨峰事件」)。
 これに対して福友産業株式会社は「巨峰は普通名称である」と主張して争い、その結果、登録商標の『巨峰』はぶどうの1品種を示す普通名称とする判決が下されています。

結局、登録商標の『巨峰』は商品名でありながらぶどうの1品種を示す名称として定着し、《石原センテ》という呼称を目にすることはほとんどありません。
 今日では国内のぶどう生産量の30%以上を「巨峰」が占め「ぶどうの王様」の地位を築いていますが、新品種に値しないと判断した農林省の役人はこれをどのように感じているでしょうか。
 ちなみに株式会社日本巨峰会では「同会の会員が育てる正統な巨峰は巷に氾濫している名ばかりの巨峰とは違い、カルシウムの多い、とても美味しいブドウです。」と宣伝しています。


参考

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