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荒井原の歴史と史跡

荒井原区のウ町勝さんが『須高』に寄稿された荒井原地区の歴史と史跡に関する内容を抜粋して紹介します。
荒井原全景
↑城山の裾に広がる荒井原地区全景(鞍掛山より)


荒井原の歴史あれこれ

城山←城山

 荒井原区の東に聳えている城山は高井の太郎の山城と言われ、頂上の本丸跡には石垣の跡が残っていますし、西側にも空堀の跡が2本、東側にも2本残っています。
 山麓に居館があり、前は一面の沼であった。 高井太郎一族(高井小太郎、高井兵衛、高井五郎、高井小次郎、高井弥太郎、高井室之助)は木曾義仲に従って京都まで行ったのですが、後に鎌倉幕府に仕えていました。
 宝治元年(1247)三浦泰村の乱の時、三浦の方について戦ったので北条方に攻められて討死してしまった。 今は何も残っていないのが残念です。

城山の分水桝  城山の西から登り口にある堰は福島正利が工事したと言われ、六分堰から水を取り入れて海福寺の裏を通して新田を開き、その分、八木沢川から取り水して中河原の田圃へ潅水したという。

←城山登り口の分水桝

松本勝次郎翁頌徳碑  少し登った所にある石碑は松本勝次郎翁の頌徳碑で、表の地は善光寺の玉與上人の書で、裏に神社庁参事長沼義人の書でその功績が刻んである。 養蚕神社を創立したり農道を1号・2号・3号と開通させたりしたので昭和33年に建立された。

←松本勝次郎翁頌徳碑

養蚕神社  頂上にある養蚕神社は裏に世界大戦平和成立記念塔と刻んであるが、お宮の新設はいけないと言われたので60年に一度の庚申祭と称して立ててしまったという。 屋根に繭の形があり石の柱に馬の形があり、今は養蚕家は一軒もないのですが、お祭りの時、神主さんがリンゴやブドウも取れますようにと祝詞の中に読み込んで下さいます。

←養蚕神社

高井村上水道敷設記念像  高井村上水道完成記念塔は荒井原の配水池にあるのですが、昭和30年に着工して村有林を売って財源を作り、村民が無料奉仕して33年に竣工した記念に立てられたものです。 女の人がカメを抱いている像は小山純夫さんの作である。

←高井村上水道完成記念像

西宮神社  西の宮神社は大正14年に高井商工会が主となって大勢の人からお金を集めて立てたもので、昭和15年には幟を新調したこともあったのですが、維持が困難となり荒井原区で管理して居ります。 昭和38年に拝殿の屋根を葺替えしたりして、養蚕神社のお祭りに一緒に行われています。

←西ノ宮神社

庚申塔  庚申塔は荒井原の鬼門除けに立てられたもので、元禄時代初期と言われ入母屋式の祠で穴が五つあり鶏が二羽猿が三匹刻んであります。 台石は大正9年の庚申の年に南の田圃から村中して引き寄せたものです。 大正9年生まれの11名の人で庚申講を作り、昭和56年に幕を作ったりして盛大なお祭りができました。

←庚申塔

小出清光句碑 小出清光句碑
 「朝夕の友や野の月山の花」とあり、小出清吉が月州居一世となったので昭和15年に立てられました。

←小出清光句碑

聖観音  十王堂の入口に石造りの大きな聖観音さんが居られます。 慶応2年(1866)の建立で願主山崎庄蔵、牧久左エ門とあり、当庵普門十方施主井浦熊二郎、井浦峰吉とあり真ん中に当区と刻んであります。

←聖観音

子育地蔵と延命地蔵  東側に子育地蔵さんと延命地蔵さんが並んで居られます。 嘉永7年(1854)11月とあり棟札には棟梁宮島祐吉と中央に当役久エ門とあります。

←子育地蔵と延命地蔵

千部供養塔、馬頭観音、合掌石仏  千部供養塔は元文5年(1740)の建立で、5人の庵主さんの法要をやり、大乗妙典というお経を1千回読んだ記念碑です。

←千部供養塔、馬頭観音、合掌石仏

十王堂  十王堂は額に延命庵とあり万松洞雲山とは眞法寺の住職のことです。 昔は公会堂として使用されていましたが、今は老人会でお花祭りやお盆の行事やお観音さんお祭り等行っています。

←十王堂

十王堂内部  元は阿弥陀堂であったが江戸時代に十王堂になったと言われ、エンマ大王と十王さん、ショウ塚のバアサンも居られ、罪の重さを計る秤もあります。

←十王堂内部(『信州高山村誌』より)

大乗妙典六十六部日本回国供養塔  大乗妙典六十六部日本回国供養塔とある石碑は、坂田家の先祖の七蔵が、延享3年(1746)から宝暦3年(1753)まで6年半かけて大乗妙典と言うお経を読んで、関東から太平洋岸を山口県まで廻ってこられた記念に、村の人が建ててくれました。

←大乗妙典六十六部日本回国供養塔(左:山崎氏、享保13年; 右:坂田氏、延享3年)

高井村道路元標 上高井郡高井村道路元標
 高井村の中心で道路の距離を計る本元である。

←高井村道路元標

山口藍香句碑 山口藍香句碑
 「ふくよかな若き胸もち初手前」とあり、明司氏が月州居三世になられた記念に昭和57年に立てられました。

←山口藍香句碑

大十二社 お十二社
 「おじょねさん」と言っているのですが、牧系の先祖を祀ってあり「牧縫之助佐尉藤原重信塚元和五年四月十二日」と刻んであり釈西久と言い伊賀守の二代目の人です。 毎年4月に牧系一族が法要を行い、区内に8軒あり須坂から15人も来るといいます。

←大十二社

大星社  大星社は山崎系8軒の屋敷神で、明治14年からの日記と幟が残っているだけで、それ以前の事はなにも分からないというのです。 毎年正月に集まってお祀りを行っています。

←大星社

県塚石棺蓋石 県塚の跡
 大塚と小塚があり、大塚は男塚とも言い碑域25間あったといいます。 小塚は女塚とも言い碑域10間余といわれ、高杜の命の墓だと言われていましたが、天保の頃こわして道普請に使われてしまったようです。 塚の中央に石棺があり、中から金環、石玉、石鏡、刀剣が出土したが高杜神社の宝物となっています。 蓋石の一つが小出清宅の庭に立っています。

←県塚石棺蓋石

亀原商店南の道祖神  道祖神は6基立って居り、立道にあるのは安永とあり一番古く、公会堂南にあるのがそれより新しく明治29年の建立で、30軒の講でお祀りしています。 大星組のは弘化2年とあり12軒でお祀りしているし、亀原の南のは明治30年とあり一番大きく50軒余でお祀りし、大組にあるのは34軒で、北組のは29軒でそれぞれ講を作って1月15日にお祀りして居ります。

←亀原商店南の道祖神

馬頭観音  馬頭観音さんは共同墓地の中に1基あり西の宮の東に2基、個人の家の庭に3基、合計6基立って居ります。 昔は馬を多く飼っていたのです。

←西ノ宮の東の馬頭観音2基

竹本其太夫記念碑 竹本其太夫の碑
 井浦幸吉は天保5年の生まれで、義太夫が好きで江戸へ出て修業すること20年、それより大阪の竹本津賀太夫の門に入り11年、竹本其太夫と名乗り日本七人衆と言われました。 妻りきは庄之助と言い京都の生まれで、郷里へ帰り弟子を養成したが育たず晩年は不運でした。 石碑は明治33年の建立で、昔は公会堂の東の辺にあったが故あって今は別府のお寺に立っています。

←竹本其太夫記念碑(『信州高山村誌』より)

荒井原組道路網  「荒井原」の起源については八木沢川沿いを南あらいと言い、北通りに点々と井戸があり北あらいと言って居ました。 区には2百年位前の地図が伝わっており、それには新井原と書いてあり明治の初めに荒井原になったと思われます。

←新井原組道路網(『信州高山村誌』より)

荒井原文化財マップ
↑荒井原文化財マップ(『信州高山村誌』より)


高山村荒井原の水車と水路

荒井原の水車  私の子供の頃は方々でガッタンゴットンと水車が回っておりました。

←荒井原に残されていた水車(『写真が語る高井の歴史』より)

用水路と井戸の分布  黒部から下ってくる小川が城山の裾で二つに分れ、その一本は海福寺の裏を通って田圃を潤している。 この水路は福島正則が開いたと言われています。

←水路、水車、井戸、湧水の分布(『信州高山村誌』より)

荒井原の水路と水車  もう一本は立道を下ってゆき、松本一郎さんで水車を営んでおられ、ウチワの看板が出ていました。 ずーっと下って小出鼎さんと、すぐ下の宮島百合さんでも水車をやっておられ、その水は八木沢川へ落ちています。
 牧則男さんの西から八木沢川を取入れた水路は、牧義雄さんの西から田圃を潤していますが、その途中から分れ、竹林の中を通して牧幸次さんでも水車をやっておられ、後にソーメン屋をやられました。 牧市二郎さんの南から八木沢川を取入れた水路は南組と大組を通り山崎雅二郎さんで水車をやっておられ、その下流の山崎岸三さんでは、荒井原で最後まで水車をやっておられました。 その南の山崎茂さんでもやっておられました。 戸田勇さんの西から八木沢川を取入れた水路でも、昔水車があったらしく、今でも石臼が転がしてあります。

 区の上の端で六分堰を取入れて、山田安治さんで大きな水車を回しておられ、後に18軒の共営水車となり、涌井恵治さんが車屋番をしておられました。 すぐその下から取入れた水路は広く区内を潤していますが、その中の一本は東組を下って、私の家の東を流れて八木沢川に入っています。 この水路が六分堰から一番近いので、二反田の車屋さんの水をかけに、たびたび上がってこられました。 今のサンプラザの所に大きな車屋があったのです。 まっすぐ西へ下る水路で、亀原本店で大きな水車を営んでおられ、黒岩政五郎さんが車屋番をしておられました。 ずーっと下って行き、松本小市さんの南で分れた水路で、松本応助さんが水車をやっておられ、その水路の跡に防火貯水槽ができています。

 以上とりとめもなく書いてみましたが、消え去ってしまった水車を懐かしく思う今日この頃です。


参考にさせていただいた資料

最終更新 2020年 5月 8日

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