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道路元標(どうろげんぴょう)〜大正の道祖神〜

大正8年(1919年)、道路行政の基本法としての道路法(大正道路法)が制定され、日本の主要道路体系整備の大綱が示されました。
 これに従って道路網整備のための基点として道路元標が全国の各市町村に立てられ、道路元標と道路元標の間を結ぶ国道2000里(約7,850km)、府県道2万1800里(約85,600km)の建設が始まりました。
 東京市だけは道路元標の設置場所を日本橋と決められていましたが、他の市町村については各府県知事が決めるようになっていました。 また材料や大きさ、表面に市町村名を表示することなども指定されていました。

どうろ‐げんぴょう【道路元標】:
路線の起点・終点または経過地を表示する標識。広辞苑

高山村の道路元標

高井村道路元標

高井村道路元標  上高井郡高井村(現・高山村高井)の道路元標は、長野県道112号大前須坂線〔万座道路〕の「高山小学校入り口」信号機のある交差点に立てられています。
←高井村道路元標
高井村道路元標  「上高井郡 高井村道路元標」と彫られた下の方は埋もれていて「標」の文字が隠れています。
←道路元標
標柱  そばに教育委員会が立てた白い標柱があるだけで、道路元標に関する説明はなく、先年発行された『信州高山村誌』にも記載は見当たりません。
 ここは山田村に通じる道の分岐ですが、現在、長野県道54号須坂中野線は100mほど須坂寄りを通っています。
←標柱


山田村道路元標

山田村道路元標  上高井郡山田村(現・高山村中山)の道路元標は、長野県道66号豊野南志賀公園線の長野電鉄「中塩」バス停の脇に立てられています。
←山田村道路元標
山田村道路元標  「上高井郡 山田村道路元標」と彫られています。
←道路元標
標柱  標柱の文字はかなり剥げていて、かろうじて識別できる程度で、ここに道路元標が立てられた経緯は不明です。
←標柱


街道の辻と道路元標

上高井地方交通網
↑江戸時代の上高井地方交通網図(『長野県上高井誌』より)

須坂町の道路元標

中町交差点「中町の辻」
←高井方面「毛無道」「山田道」
↑仁礼・灰野方面「大笹街道」「三原道」
→井上方面「谷街道」「善光寺道」
↓小布施方面「谷街道」
 高山村から長野県道112号大前須坂線を下り、高橋の交差点を左折して新町を過ぎると中町の交差点に着きます。 ここはかつて須坂町の中心だった「中町の辻」で、左折すると仁礼宿から菅平、鳥居峠を越えて上州大笹宿に至る〔大笹街道〕、直進すると井上から松代に向かう〔谷街道〕や善光寺へ行く〔善光寺道〕になり、右折すると〔谷街道〕が小布施から中野を経て飯山に至るという、往事の交通の要衝でした。
須坂町道路元標  交差点を左折したすぐ左側に新しい「須坂町道路元標」が立っています。
 この道路元標は平成6年(1994年)3月に中町区によって新設されたものです。
 現在、国道403号〔谷街道〕、国道406号〔大笹街道〕、長野県道54号須坂中野線はこの辻を通らず、群馬県道・長野県道112号大前須坂線〔万座道〕の起点も春木町の交差点となっています。

 

井上村の道路元標

井上村道路元標井上の辻
↑須坂方面〔谷街道〕
→仁礼方面〔大笹街道〕
 須坂から上ってきた〔谷街道〕は井上の辻で〔大笹街道〕と交差します。
 辻には明治2年(1869年)に立てられた道標と、「上高井郡 井上村道路元標」が並んでいます。
 道標には
  左 須坂中野
  右 仁礼草津
と刻まれています。
 現在、国道403号は200mほど離れた場所を通っていますが、旧大笹街道は国道の混雑を迂回する抜け道として車が頻繁に通っています。


『大正の道祖神』

昭和27年(1952年)に制定された現行の道路法では、道路元標は道路の附属物とされているだけで特段の規定はなくなり、道路の起終点は道路元標と無関係に定められています。
 30数年で役目を終えた道路元標ですが、それ以降も道ばたに佇んで通り過ぎる人や車、時代の移り変わりを見守っています。
 国の大号令で立てられたいわば『大正の道祖神』です。


参考にさせていただいた資料

最終更新 2012年 3月31日

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