高井野の地理>一本杉

一本杉

一本杉の由来  高山保育園の西に広がる田圃の中に小さな杉の木がぽつんと立っていて、隣に白い塗装の剥げかかった標柱と石碑、そのいわれを書いた説明板、福島正則供養塔がたたずんでいます。
 昭和の初めまでここには高さ30メートルもある杉の大木が立っていて、近隣の住民から「一本杉」と呼ばれていました。
 またこの場所は戦国武将・福島正則の火葬場跡とされ、現在は高山村の史跡に指定されています。
←一本杉があった場所
 堀之内の梨本丈吉氏が『須高』に寄稿された「一本杉」にまつわる話を引用させていただきます。


一本杉にまつわるはなし

田圃の中の記念碑

ここに記す一本杉は、「山のカケスが鳴いていた」の一本杉でなく、上高井誌・歴史編(上高井教育会編)・「正則火葬の跡」として記述された

居館址より1500メートル程北の六分堰の側の一本杉のところ。
大杉が立っていたが、昭和九年に倒れた。
里人はこの枝を折ると大出血するといいつたえていた。

その一本杉のことである。

一本杉の碑←石碑
 現在、田圃の中のこの地籍には、高さ1.65メートルほどの石碑が建てられていて、表に凸字で一本杉と刻まれ、裏側に、

 福島正則公遺蹟
公寛永元年七月逝去此処ニ荼毘に付シ其址ニ
一本杉ヲ植ユ 周囲三丈高サ十丈ニ達ス 昨
年九月暴風ニ倒ル 再杉ヲ植ユ 記念トス
 昭和十年四月 建之  堀之内区

との碑文が刻まれている。

再び植えられた一本の杉は、少し伸びると何者かによって抜きとられたということがあり、また植えられたが、それも抜きとられたということが重なって、その後は記念碑のみが草生の中に立っている。 おもうにこれは、四方に枝を張って鬱蒼とした大木のために、付近の稲田が日陰になっていたので、この機会に日当たりが悪くなるようなものはごめんであると考えた物の仕業であろうとの憶測をしたものである。 折しも日支事変が拡大して、戦時食糧逼迫の時代に入ったので、この憶測には頷けるものがあった。

一本杉 ←台風で倒れる前の一本杉(『写真が語る高井の歴史』より)

ことほどさようにこの一本杉は大樹であった。 私の子どもの頃は、この大樹の下が遊び場となっていてよくそこへ集った。 四・五人が手をつないで根元を取り巻いて、その太さにおどろいた記憶もある。 周囲三丈とすれば九メートルに及ぶので、大人でも四・五人でやっとではなかったか。 高さは三〇メートルの巨木。 根元には大きな空洞があった。 その中へは大人でも体を入れることができた。

高井野の一偉観として、善光寺平のどの地点からも遠望することができた。 私には、長野師範の寄宿舎におった時分、城山公園東側の台地に立って、この一本杉を遠望しては懐郷の思いに駆られた思い出がある。

寄宿舎の夕食は五時、夏はまだ日が高いので夜の自習が始まる前の外出時間には、よく善光寺の御堂に参り、その足で公園の桜並木道をのぼって、県社裏の台地に出ると、東の方を眺める。 千曲川が光っていた。 須坂の町並みを越えた高井の田圃の中にこの大樹が遠望できた。 黒々とした一本の大樹が西日の中にかすんで見えた。 私の家はその南の方の居館址の近くにあった。

上高井誌の大出血の記述は、大杉の枝を折った者自信が大出血するのか、折られた枝から血が出るのか不明の記述であるが、高井の人達は枝から血が出ると言い伝えていた。 ある伝えには皮を剥ぐと血が出るという。 これは大杉への畏敬からであろうと私は思う。 正則の悲運を悼む気持を杉の生長に託していたように思えるのである。
 この言い伝えが杉を損傷から守って来た。
 梨本丈吉「一本杉にまつわるはなし」より

一本杉(化け杉)の伝説

 正則の葬式の時、天がにわかにくもって、雲のかたまりが降りてきたかと思うと、正則のひつぎをうばい、見る見る一匹の悪鬼と変って、正則の遺体をつかんで、空に姿をかくした。 その時正則の片腕が地に落ちて、それが杉の木となり、生いしげったのがその化け杉だという。

この杉を切ろうとすれば、どこからともなく無気味なうなり声が聞えて来たり、また、のこぎりくずがまとわりついて、うまく切れなかったりするという。 また幹を切れば血が出てくるという伝説も伝わっている。 そこで里人はこの杉を化け杉と呼んだという。
 梨本丈吉「一本杉にまつわるはなし」より


一本杉の由来

一本杉の由来←解説

一本杉の由来
−福島正則公 荼毘の地−
 正則公は、元和五年(1619)広島五十万石の大大名から高井野四万五千石に転封を命じられられ、 寛永元年(1624)七月一三日堀之内館(長野県史跡福島正則屋敷跡)において、享年六十四才で 波乱の生涯を閉じた。
 遺骸は、幕府検使役の到着が遅れるなか、家老津田四郎兵衛の計らいで、高井野のこの地で 荼毘(火葬)に付された。
 領民はここに一本の杉を植え、公の遺徳を偲ぶよすがとした。 歳月が流れ、若木は成長し、いつしか住民から”一本杉”という愛称で崇拝される巨樹となった。 記録によると
「周囲三丈(約九メートル)高さ十丈(約三十メートル)に達すとあり、晴れた日には遠く戸隠 からもその樹影が望まれたという。
だが、昭和九年(1934)九月、室戸台風により倒伏。 再植した杉が育っている。
 伝承によると、杉の枝を切ったり折ったりすると血が噴き出してくるといわれ、先人、区民の 誰もが限りなく愛し、慈しみ、守り伝えてきた巨樹であった。
平成十七年十一月
堀之内区
高山村教育委員会


参考にさせていただいた資料

最終更新 2012年 3月31日

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