高井野の地理>高井野を取り巻く山
↑千曲川堤防から望む上信越道と雁田山、上信国境の山並み
上高井郡高山村と小布施町の境にある雁田山は、今から約400万年前の火山活動によってできた岩石が積み重なってできたとされ、ここから採れる砕石には黄色い瑪瑙(めのう)が含まれています。
標高は 786.4mとそんなに高くはありませんが、善光平に半島のように突き出ているため、盆地の中央を走る高速道路や、松本空港を飛び立った千歳行きの飛行機からもよく見えます。
頂上からは千曲川と善光寺平の向こうに連なる北アルプスや北信五岳を一望でき、頂上近くの標高 759.39m、東経 138°20′23″、北緯 36°41′20″の地点に、国土測量の基本になる一等三角点が設置されています。
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北西約3km、小布施町押羽付近 |
北方約3km、中野市小沼付近 |
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西方約4km、小布施町ハイウェイオアシス |
上空から見た雁田山(昭和50年) |
東方約2km、高山大橋 |
南西約5km、須坂市中島付近 |
南約1km、日滝原産業団地 |
南東約3km、高山村二ツ石付近 |
↑空中写真は「国土画像情報(カラー空中写真) 国土交通省」を元に作成
↑ダイナマイトで爆破された土埃が舞う雁田山の採石場。左遠方は妙高山(2016年5月6日)
昭和42年から高山村側を削って採石が行われ、長野県北部で使用される砕石の約8割を賄っています。
上信越自動車道、長野新幹線、長野冬季オリンピック関連施設のほとんどが、この山を削って建設されました。
その後、公共投資の抑制によって採石の使用量は激減しましたが、それでも毎日、山は削られ続けています。
長野市から上水内郡豊野町へ向かうアップル・ライン(国道18号線)の東方、上高井郡小布施町に、鳥がはねを広げたような形の山がみえる。
江戸時代の画家−文人だった高井鴻山(小布施町住)が”こうのとり”を思わせるとして、自分の号にしたという雁田山(かりたやま)−。
標高786メートルの小山だが、この地方の人たちにとっては生活にとけこんで、愛着の強い山だ。
(中略)
雁田山は、山の裾野がほとんどなく、小布施町の中に山があるといえるほど町部に近い。
それだけに、地域の人たちの生活にとけこみ、「雁田山の紅葉は美しい」と、人々の山への愛着は根強い。
だが、雁田山は時代の波にもまれ、大きく変わろう−としている。
県下の山々は、観光開発で、変ぼうしていくが、この山はじゃりの採石事業で年々、くずされている。
鳥の羽のようにひろがる山の南側では、4、5年前から大がかりな採石場ができて、連日山をくずしている。
松川扇状地に吹き出した溶岩(安山岩)がじゃりには最適なのか、ここから採石された”じゃり”は遠く志賀高原に運ばれ、道路舗装に一役買っている。
須坂市と小布施町、高山村の境に沿って流れる松川。
松川に面した雁田山の雁田不動、中山不動地積では、すでに高さ百メートル以上、幅5、6百メートル、奥行き百メートル以上に山がくずされ、このまま採石が続けば、鳥の羽を思わせる美しい峰が遠からず一つなくなってしまうだろう。
日一日とくずされ、きたない山はだをさらす雁田山を毎日みつめる須坂市旭ヶ丘団地の主婦たちは、「あんなに、山をくずしてよいもんでしょうか−」と嘆く。
一方では、採石による山くずれの危険を説く人もいる。
また、貴重な「雁田古墳群」も採石事業によって破壊される恐れがでて、今のうちに保護しなければと、小布施町では45年4月から保存に乗り出した。
人との交わりや、対話が強かったこの山には史跡や、文化財が多い。
国の重要文化財に指定されている雁田薬師堂、豊臣時代の武将、福島正則の墓、雁田古墳群、大城、小城跡、かくれキリシタンが住んだというどう穴、葛飾北斎と高井鴻山が描いた「八方睨みの鳳凰(ほうおう)の図のある岩松院など−。
クリとリンゴしか”名物”のない小布施町は、これらの史跡と雁田山を結びつけ、観光面での活用を考えている。
歩いて4キロ、2時間ほどの山だが、急坂の道は登山の楽しみも味わえ、頂上からの展望もよいので、町は岩山を中心にした”自然公園”を計画、町民や長野、須坂市などの人たちのいこいの場にしよう−との構想だ。
しかし、雁田山を自然公園にするにしても「まず、山の自然を破壊から守ることが先決−」と、町民たちは保護対策を強く訴えている。
『信州百山』より
同じ山や峠なのに、向こう側とこちら側では呼び名が違うことがよくあります。
明治初期に編輯された『長野縣町村誌』では、雁田山を村域に含む中山村と雁田村が「不動山」としていますが、櫻澤村では「翠山」の項に「雁田山」に続くと記されています。
いつから「雁田山」に統一されたのか不明です。
高さ150丈、周囲未だ実測を経ず。村の西方にあり。
嶺上より二分し、西北は雁田村に属し、東南は本村に属す。
山脈、東北瀧ノ入山に連る。雑樹密生す、登路なし。
↑明治初期に制作された【中山村(絵図)】長野県立歴史館蔵
掲載許可者:長野県立歴史館(平成24年3月7日)(クリックすると拡大表示します)
高さ179丈、周囲1里4町46間、本村東南にあり。
嶺上より二分し、東南は同郡中山村に属し、西北は本村に属す。
山脈、北方苅位山に連る。樹木繁殖し、登路2條、第一は村の午の方字澤入より登る、高さ19町30間、険路たり。
一は村の巳の方字藥師入より昇る、高さ15町3間険路なり。
山嶺に巨石あり、姥石と称す。坤の方に面起し、人の跪座せし形にして、高さ9丈5尺、周囲20間4尺5寸、石頭に一の老松あり、長さ1丈3尺、周囲4尺6寸。
↑明治初期に制作された【雁田村全図】長野県立歴史館蔵
掲載許可者:長野県立歴史館(平成24年3月7日)(クリックすると拡大表示します)
高さ280丈、周囲2里6町、村の東南西方にあり。
嶺上より三分し、一は東、本郡三ツ和村(旧大熊村)、本郡中山村(旧中山田村)の両村と界し、其の山勢綿亙し雲井嶽(本郡間山村)に連る。
一は南西、又中山村(旧駒場村)、本郡雁田村に接し、南へ雁田山に続き、本郡松川の北淵に山脈尽きて平夷となる。
山脈、東北瀧ノ入山に連る。雑樹密生す、登路なし。
↑高山村景観重要樹木に指定されている高杜神社杉並木と雁田山
これから先何十年も日々その山容を変えていく雁田山は、ある意味で高山村と北信の象徴です。
最終更新 2016年 5月 7日