高井野の地理名勝

秘境・毛無峠〜村一番の絶景地

毛無峠
 ↑破風岳山頂から見下ろした毛無峠と上州の山々(本白根山、赤城山、榛名山、浅間隠山)

毛無峠は高山村と群馬県嬬恋村を結ぶ毛無道の国境の峠で、近世から昭和にかけて多くの人々や物資が往来していました。
 近年、立木のない荒涼とした峠一帯とそこからの眺望が人気を呼び、景色を楽しむ人、硫黄鉱山の廃墟を探索する人、強い風を利用してラジコン飛行機を飛ばす愛好家、霧の中で映画撮影をするグループなどが訪れ、高山村一番の絶景ポイントになっています。
 また2018年8月11日に開通した「ぐんま県境稜線トレイル」バラギ・鹿沢エリアの北の登山口です。


↑毛無峠周辺地図


峠の看板

通行止めの看板  群馬県道・長野県道112号大前須坂線の群馬県側の通行を規制する看板です。
 群馬県側から行くことができない群馬の国境としてインターネットで一躍有名になった衝撃的看板で、毛無峠を秘境でありながら観光地のような存在にした立役者(看板)です。

毛無峠の看板  風雪で文字が薄れて少し読みにくくなった「小串山並快(街)道」の木製看板も設置されています。

 毛無峠(1823m) 
 ←上州路 群馬県嬬恋村
 →信州路 長野県高山村
 至←小串「御地蔵堂」参道
  車道4km・徒歩道路1km
 アチャー・ダンベの国境
 小串山並快(街)道


「ぐんま県境稜線トレイル」

破風岳登山口  「破風岳・土鍋山」登山口の看板に「ぐんま県境稜線トレイル」のロゴマークがあります。

御飯岳登山口  「御飯岳」はコースに含まれていないようで、登山口の看板に「ぐんま県境稜線トレイル」のロゴマークはありません。


峠から眺める山並

北信五岳
雲の合間に姿を見せている北信五岳(戸隠山、飯縄山、黒姫山、妙高山)
 2011年 9月 7日

北アルプス
雲の上に姿を見せている北アルプス(乗鞍岳、常念岳、穂高連峰、槍ヶ岳、爺ヶ岳、鹿島槍ヶ岳、五龍岳、唐松岳、白馬三山)
 2016年10月24日

破風岳 毛無峠の西に聳える破風岳(1,999m)
毛無峠から分水嶺が土鍋山に続く
頂上で群馬県嬬恋村・長野県須坂市・高山村に三分

土鍋山 破風岳に連なる土鍋山(2,000m)
稜線で群馬県嬬恋村と長野県須坂市に二分

浅間山 噴煙を上げる浅間山(2,568m)と浅間隠山(1,757m)
2017年9月29日

御飯岳、老ノ倉山、大平山 御飯岳(2,160m)、老ノ倉山(2,020m)、大平山(1,824m)


峠の花畑

ガンコウランの群落 ガンコウランの実
毛無峠の群落は高山村の文化財指定候補です。

イワカガミの群落 イワカガミの群落

ミツバオウレンの群落 ミツバオウレンの群落

オヤマリンドウ 登山道脇のオヤマリンドウ


峠の遺構

太田堰

毛無山の山腹に残る太田堰跡  明治11年(1878年)に群馬県から毛無峠を越えて長野県側に農業用水を引水するための水路が開鑿されました。
 毛無山の山腹には笹に覆われた水路の跡がわずかに残っています。
開鑿工事
↑引水計画図 御飯岳東麓の集水路と作業小屋(『高山村誌』より)


硫黄鉱山

高井硫黄鉱山跡
高井硫黄鉱山跡  大正5年(1916年)に毛無峠の麓・根石地籍で硫黄採掘が始まり、昭和3年(1928年)まで続きました。
 大正9年(1920年)には高山村樋沢まで硫黄を運搬する索道9kmが完成しました。
  推定総生産量:硫黄2万トン

小串硫黄鉱山跡
小串硫黄鉱山跡地  昭和4年(1929年)から昭和46年(1971年)まで群馬県吾妻郡嬬恋村干俣地籍で硫黄採掘が行われました。
  標準年間採掘量:15万トン
  人口最盛期:2,100人

毛無峠の索道遺構  小串硫黄鉱山から毛無峠を越えて高山村樋沢まで硫黄を運搬した索道の鉄塔が残っています。
  索道全長:10.8km

小串鉱山物故者慰霊  小串鉱山の物故者慰霊の標柱が立っています。
 かつて毛無峠には避難小屋がありましたが今はありません。


毛無街道(牧―干俣街道)

「小串鉱山史」より

上信越高原国立公園、ここ毛無峠は標高1,830メートルに位置し、日本海と太平洋を分かち表・裏日本の分水嶺をかたちづくる「アチャ」信州と「ダンベー」上州の国境をなしている、2,000メートル級の高峰、土鍋山、破風岳、御飯岳、毛無山が四方を囲み、高山植物も多種群生し、周囲の景観は雄大で訪れる人を魅了する。
 毛無越街道は歴史も古く、鳥居峠、大笹街道にならび、大笹関所の裏街道(抜道)として往来が多く、上野国、信濃国、越後を結ぶ文化と交易の道としても交通史を飾った。
 昔は上州三原から信州日滝村まで約10里、馬の背をかりて日滝村まで土地の炭、麻、曲物細工を運び、ここで塩鮭、米、味噌、油に替え、三原に戻って売る商人が多く、夜半に家を出て4〜5時に日滝村に着き、商売ののち休み、夜半に村を出て三原に帰る、という状況であった。
 冬は雪に埋もれ人馬ともに死ぬ「行倒れ」もあり、悲惨なものであった。
 毛無街道は時代とともに変わった。かつての交易の道は、硫黄鉱山と町や村との交流の道となった。

毛無道  そして今、鉱山の閉山で人影は無く歴史の街道は自然に帰りつつある。

←毛無峠から小串鉱山跡まで下るジロー坂

上高井地方交通網
↑江戸時代の上高井地方交通網図(『長野県上高井誌』より)


メッカ

ラジコン飛行機  谷底から吹き上げてくる風を利用して飛んでいるラジコン飛行機がよく見られます。

ラジコン飛行機  霧が出ると晴れるまで待機です。


分水峠

分水嶺  毛無峠の長野県側に降った雨は信濃川から日本海に注ぎ、群馬県側に降った雨は利根川から太平洋に流れます。


参考にさせていただいた資料

最終更新 2019年 8月 8日

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