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水中の史跡めぐり

昔、水中地区には樽沢川下流部の「水沢(みずさわ、みっさ)」と中流部の「中善(なかぜん)」という2集落があり、明治5年(1873年)に合併して「水中(みずなか)」が誕生しました。 今でも樽沢川上流部を「あがりっと」、中流部を「中善」、下流部を「水沢」、久保川添いの集落を「田端(たばた)」という呼び名が残っています。
 「灰野峠」(須坂側では水中峠と呼ぶ)を越えて須坂市豊丘に至る道筋は大笹街道や三原街道やに通じる交通の要衝で、周囲の山にある戦国時代に築かれたとされる山城跡など古くからの史跡が多く、最近は「水中のしだれ桜」が全国的に有名になり、高山村を代表する観光スポットになっています。


小布毛(おふけ)遺跡

小布毛遺跡  水中集落センターの東側の田の土手に「史跡 久保遺跡群 小布毛遺跡」と記された白い標柱が立っています。
 昭和56年(1981年)から始まった高井土地改良事業の予定地に久保遺跡群が所在していることがわかり、久保遺跡発掘調査団を編成して発掘調査を行いました。
 調査担当者は関孝一先生で、地元の小山義雄調査委員をはじめ、作業員には多くの住民が関わって、昭和57年(1982年)6月1日から14日の間に行われました。

←高山村史跡「小布毛遺跡」

小布毛遺跡  小布毛遺跡には農業遺構と思われる溝があり、水田の一端であると考えられ、平安時代のものと推測されます。
 水田遺構の下からは、黒曜石やチャートの破片、打製石斧なども見つかり、縄文中期から後期の前半に当たるものと考えられています。

樽沢川(水中)と久保川(久保)下流の小布毛地籍と中河原(なかがわら)地籍は稲作適した湿地帯であったことから、高井野における最初の開田地の一つと考えられています。


水中八幡社

水中八幡社  久保川にかかる水中橋を渡って水中地区に入り、130mほど進むと左手に水中八幡社があります。
 住民から「お八幡(はちまん)」という愛称で親しまれ、毎年4月の半ばに春祭、夏には育成会主催の盆踊りが行われるなど、水中住民の憩いの場になっています。
 応仁天皇を主座とし、神功皇后と比売神(または仲哀天皇)の三神が祀られています。
 明治25年(1892年)に寄付を集めて新築されました。

←水中八幡社殿

境内には忠魂碑、常夜灯、庚申塔、馬頭観音なども祀られ、東屋、一対のアルミ製幟竿、ブランコや滑り台などの遊具もあります。

春祭

獅子舞奉納  春祭では花灯籠と隣組の灯籠が並び、東屋で獅子舞が行われます。
 掲揚されている幟は高井鴻山の子の高井辰の揮毫です。

←春祭の獅子舞奉納

水中の神楽

水中の神楽  文化4年(1807年)に初めて水沢と中善で神楽が奉納されました。
 現在の神楽は、古い神楽を売って明治14年(1881年)に新調されたもので、河東一と言われていました。
 その後、昭和63年(1988年)に昭和の大修理ということで70万円をかけて改修し、今も明治初期の匠の技の素晴らしさを見せています。

←水中の神楽


「力石」

八幡社近くの小山敏司氏の庭園内に一抱えもある丸い石が鎮座しています。
 直径:34cm; 重量:18貫(67.5kg)

力石  新井秀一氏によると
「元小山宅に住んでいた『月生田けさ』さんが、勝山哲夫氏西屋敷に祭っておいたものである。 この石は18貫あり、水中の力自慢大会に用いられ、この石を襷(たすき)に取った人もいるという。 この石を撫でると子供ができたり安産したり、病気も治るといわれている。」

←小山敏司氏宅の「力石」


水沢のお不動さん(水沢不動尊)

水沢不動尊  明覚山から北に延びる二つの尾根に挟まれた土石流扇状地”水沢原”の麓に、地元で「お不動さん」と親しんで呼ばれている水沢不動尊のお堂があります。
 堂内の中央にはご本尊の不動明王を祀る厨子が据えられ、その右側に阿弥陀如来を祀っている厨子、左側には神棚が据えられ、「水沢組」という仲間によって保存活動が行われています。

←水沢不動尊

かつて鞍掛山の北麓と月生城の西麓の狭間には水源があり、大滝の天神社が祀られていました。 その後、水害によって流され、現在のところに移転されたと伝えられ、お不動さんの中に安置されています。

お稲荷様なども祀られていますが、その経緯については不明だそうです。

祭日

明治の頃の記録によると、年間、以下のような行事が行われていました。
  4月13日  山の神社祭 (固定期日)
  4月18日  観世音祭  (固定期日)
  9月18日  観世音祭  (この日は年によってかなり違いが見られる)
  10月27日  お不動祭  (固定期日)
  2月27日  お不動祭  (この日も年によってかなり違いが見られる)

9月と2月はお祭となってはいるが、勘定(決算)の日でもあり、次期当番への引き継ぎも行われていたようです。

水沢不動尊  10月27日のお不動祭はこの組織の一番大きな事業で、お不動さんに吹き流しを立て、芋料理とお豆腐汁を振る舞い、近所の人たちもたくさん集まってお祝いを行い、大変賑わったようです。

現在は4月初旬に「山の神と観音様」の合同のお祭、10月に「お不動祭」の2回を行うのみだそうです。

←不動堂

<水沢組>

水沢組は、水中の西側(下側)の集落で、かつて水沢と呼ばれていた地区の何軒かが集まってできている組織である。 昔より水沢地区の南西にひっそりとたたずむ「お不動さん」と浄教寺の南側にある観音山などを共同で所有し、代々守ってきている組織である。 いつごろ出来たのかは定かではないが、記録としては明治42年にお不動の屋根葺き替え工事の記録から始まっているので、会の発足は更に遡ることになる。 その当時は十三軒の仲間がいたが、次第に途絶えてしまった家や家の都合で組を脱会する家があり、今は四軒となってしまっている。


浄教寺

浄教寺  明覚山から北に伸びる尾根の麓に浄土宗の高井山水澤院浄教寺があります。
 副住職さんによると、寺は鎌倉時代末期の文治年間(1185年〜1190年)に浄安和尚によって開かれ、水沢不動尊の近くにあったものが江戸時代初期の寛永年間(1624年〜1643年)の山津波で流失し、寛文年間(1661年〜1672年)に現在地に移転したそうです。

←副住職さんの解説

浄教寺鐘楼門  寛政8年(1796年)に亀原和田四郎一門の手によって本堂・鐘楼門などが再建されましたが、昭和34年(1959年)の台風で鐘楼門を残してすべて倒壊しました。

←鐘楼門

十六羅漢の欄間

欄間彫刻  倒壊した本堂にあった十六羅漢の欄間彫刻は危うく難を逃れ、昭和53年(1978年)に再建された新本堂内に掲げられ、高山村指定文化財になっています。

←十六羅漢欄間彫刻


飯綱神社

飯綱神社  浄教寺から急な坂道を上って行くと左側の林の中に社殿が静かに佇んでいます。
 柴田一族の守り神で、祭日には幟を立ててお祝いされています。


勝負田

勝負田  明覚山から北に伸びる尾根の先端に「月生城(つきおいじょう)」と呼ばれる山城があり、城の上がり口の滝ノ入り地籍に「勝負田」があったといわれています。

←高山村史跡「月生城趾入り口」

勝負田伝説

勝負田  甲斐の武田信玄と越後の長尾輝虎(上杉謙信)は、長引く川中島の戦いに決着をつけるため、甲越双方の代表武者に勝負させ、その結果によって北信濃の帰属を決しようとし、その勝負の舞台になったのがこの田であったという「勝負田伝説」が伝えられています。
 また上杉軍が明覚山の山裾に軍馬三千頭を隠しておき、ここから川中島に出撃したとも伝えられています。

←勝負田古戦場と月生城趾
馬場廣幸「沼ノ入城と水沢原付近のこと」より


鹿島神社

水中地区の上部に鎮座している鹿島神社は、源平の合戦に敗れた関東の平氏(藤原氏)の一族が逃れて移り住み、屋敷神として祀ったと伝えられています。

鹿島神社としだれ桜  江戸時代中期の寛保2年(1742年)に水害があり、そのあと小淵一族が鹿島神社を祀りました。祭神は建御雷命(たけみかづちのみこと、武甕槌命とも)です。

小淵家の言い伝えでは、鹿島神社を祀るときに、桜の木を何人もかかって担いで来て植えたそうです。
 その木が今では「水中のしだれ桜」として全国的に有名な桜になっています。

←鹿島神社と”しだれ桜”

しだれ桜と北信五岳  平成16年(2004年)4月に吉永小百合さんと渡辺謙さん主演の映画「北の零年」のロケがここで行われ、水中地区のみなさんがエキストラで出演され、近所の皆さんは畑仕事を放り出して見物に行きました。

撮影は好天に恵まれ、行定勲監督さんがここの景色に感動されていたという噂が流れました。

←映画の浄瑠璃小屋セットと北信五岳


謙信道

謙信道  水中地籍から灰野峠を越えて須坂市南部に出て、綿内(長野市)を通って松代へ通じる道を通称「謙信道」と呼んでいます。
 川中島の合戦で乱戦となり、越後へ落ち延びる上杉謙信が通ったと伝えられています。

←謙信道としだれ桜

謙信道
↑高山村内の「謙信道」
※この地図は国土地理院発行の「数値地図50000(地図画像)」と「数値地図50mメッシュ(標高)」を利用してカシミール3Dで作成しました。

謙信道  「謙信道」は水中から北に向かって久保、赤和、黒部、牧、宮村を経て小池峠から山ノ内に入り、菅、佐野、夜間瀬、須賀川から飯山へと通じ、江戸時代には盛んに利用されていました。
 現在も畑の畔に「謙信道」だっといわれる道跡がわずかに残っています。

←謙信道と山城跡


史跡めぐり

史跡めぐり  久保育成会と久保史談会で水中の史跡を勉強しようと計画し、内山・高山史談会長さんと小山・水中史談会長さんにご相談したところ両氏とも快諾していただきました。

水中文化財マップ  久保育成会と水中育成会は小山・水中史談会長(高山村教育長)さんと内山・高山史談会長(高山村議会議長)さんのご協力をいただいて、平成27年(2015年)9月13日に水中の史跡をめぐる学習会を開催しました。
 資料作成・道案内・講師は小山さんと内山さんの他に、信州高山村みちおしえの会の内山幸一さんと浄教寺副住職さんも加わっていただくという最強のメンバーになり、同行された親御さんも初めて知った内容がいくつもあった、という充実した学習会になりました。

←水中文化財マップ


参考にさせていただいた資料

最終更新 2016年 4月18日

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