高井野の地理>高井野を取り巻く山

高井山〜大古の火山

毛無道  中央分水嶺が連なる上信国境の山々の中で、古い資料や和歌に「高井の山」「高井野山」「高井山」「高位山」とされている山があります。
←『高井村誌』に記された高井野山(明治12年)
 国土地理院2万5千分1地図には御飯岳(おめしだけ、2160.4m)と記載され、高山村では池ノ塔山(2,217m、2万5千分1地図には山名の表示なし)に次ぐ高峰です。
 山名の「おめし」は火山を表す「おむし」や「おぐし」が訛ったものだと伝えられています。


高井山

御飯岳
↑樋沢川源流の山々(カシミール3Dで作成)

名勝【高井山】

御飯岳←御飯岳

一名高位山、又阿蒸ヶ嶽
 高さ578丈、村の東方にあり。古時、噴火山にして、常に岳頭より、雲烟蒸発するを以て称す。
 山脈、東は黒湯山に連り、西南は破風ヶ嶽に亙り、西北は大位座山に駢列し、峯嶺諸山の上に秀て、淺間、白根の両山にも劣ざる高岳にて、 近く建久の頃まで噴火せしを、建歴の際、雲烟絶えて登る事なし。
 草津湯本平兵衛は所蔵する、建久中絵図に噴火山があり、上州にてオムシカ嶽という、近来誤りてオタンカ嶽という、右図に信州草津温泉とあり。
  大臣家長卿の歌
   そのままにやみなは
     つらししなの路や
    高井の山の雲のよそめは
 衣笠内大臣は定家卿の高弟にして、即ち当時の和歌の名人なるを以て、高井山の烟絶えたる事をおしみ又恋の情に引入て、そのままにやみなばつらし云々とよみ出られし事明なり。
 高井乃山、上古噴火山たりし証は上州草津温泉なる湯本平兵衛が所蔵せる、建久年度の古絵図に見ゆ。
 亦同山を上州にてオムシカ嶽と称するも、上古噴火山にして雲烟蒸発せしより負称せる名なる事必然たり、然るを近来誤りて、オカンタ嶽という。
 因云建久年度の古絵図に(信州草津温泉)と記し有しは実妙也と云べし。
『長野縣町村誌』より

高井山

一に高位山と書けり。山脈東北は黒湯山に連り西南は破風岳に亘る。山上頗る眺望に富み、上下水高一呼の裏にあり。
 古歌の所謂『信濃なる高井の山』とあるはこれにて、『そのままに止みなはつらし・・・雲のよそめは』は噴火山たるを思うべく、里俗此山を亦「おめし」と呼び、上州にては「おぐし」と唱う。いずれも「おむし」を訛れるなり。 而して「おむし」は「お蒸し」にて噴火の謂なり。
 建久四年になれる、信州草津温泉図によれば、周囲の山脈中火山として浅間・おむし・白根を掲ぐ、古歌の詠者、衣笠内大臣は、実朝の師なれば、頼朝浅間狩の頃の詠にて、噴火当時なりし事明かなり。
 千曲真砂は、蓼科山とし、そは山上に井あり、高井たりと。されど井は借字にて、古書には為偉謂位の類は、音をかり、井居座の類は、訓をかりたり。されば論ずるに足らず。 細石は高社山とすれど、中古来噴火したる事見えず。且延喜式・和名抄・東鑑等に見ゆるは、大部分本郡に係れば、又とるに足らず。
 日本地理志料・大日本地名辞書・地名考・名所和歌集・科野名所集・信濃実鑑・皆此山とせり。
『上高井郡誌』より

湯澤瀧澤山の内【旧高位山】

一名高井乃山、又、阿蒸ヶ嶽とも云う。
 高さ678丈、周囲諸山と連互せるを以て、実測し難し。居村の東方に在り。
 嶺上より二分し、東南は上州吾妻郡干俣、大前の諸村に属し、西北同郡牧村番外地盤に属し、本村の進退山なり。高井村外1町16村、秣薪入会場なり。
 山脈、東北は黒湯山に連亙し、西南は破風ヶ嶽に連接し、西南は大位座山に駢列す。積雪夏至に及を以て、全山樹木生茂せず。
 渓水2條あり、共に字両澤より発し、下流して樋澤川に入。
 登路1條あり、村の東北、字上樋澤橋より南へ折れ、嶺上に至る。登高3里8町、頗る険なり。
『長野縣町村誌』高井村より

湯澤瀧澤山の内【御飯ヶ嶽】

高さ凡そ540丈、周囲3里20町、未だ実測を経ず。本村中央より辰の三分にあり。
 頂上にて二分し、東は上野國吾妻郡干俣村に属し西南北は本村に属し。
 山脈、東は上野國吾妻郡干俣村山に接し、西は本村大平山に亙り、南は本村破風ヶ嶽に接し、北は本村黒湯山に連なり、樛樹、黄楊樹多し。
 渓水3條あり、其の2水は御飯ヶ嶽、西面の中央より発し、2水相会して西流し、樋沢川となる。一は御飯ヶ嶽北の麓より発し、大カラ沢を経て松川に入る。長さ30町、幅5尺なり。
『長野縣町村誌』牧村より


高井山を詠んだ和歌

衣笠内大臣(建久3年〜文永元年、1192年〜1264年) 
そのままにやみなはつらししなの路や高井の山のくものよそめは
従五位藤原虎二
消えのこる雪かと見しは信濃なる高井の山の桜なりけり
海上胤平(文政12年〜大正5年、1830年〜1916年)
高井のやおこしが嶽に立つからは絶えしけむりの名残なるらむ
武田識正
こもまくら高いのやまは天雲のおくかもしらにさみたれのふる

御飯火山

御飯岳

黒湯山と御飯岳  樋沢川源流に連なる御飯岳、大平山、毛無山、破風岳などを総称して御飯火山群と呼んでいます。
 主峰の御飯岳は今から100万年以上前に溶岩が吹き出してできた火山とされています。
←黒湯山(中央)と御飯岳(右)

御飯岳  山頂の南東・群馬県側は溶岩が緩やかに流れた平滑な斜面が広がっています。
 一方、西面・高山村側は著しく浸食されて樋沢川の急崖が連なっており、山頂の北西直下は特に急峻です。 この崖の下方には比較的緩い傾斜の斜面が広がり、樋沢川上流の湯沢の谷に伸び、一帯は古くは吉ヶ平(よしがたいら)と呼ばれ、明治30年代には高井牧場が開かれたことがあります。
←御飯岳・老ノ倉山・黒湯山・万座山

「御飯カルデラ」

御飯カルデラ
↑御飯火山と四阿火山(カシミール3Dで作成)
 かつては大平山・老ノ倉山・御飯岳・毛無山・破風岳は馬蹄形のカルデラを持つ火山の外輪山とされ、「御飯カルデラ」と名付けられていました。
 これは四阿山(あずまやさん)・根子岳・浦倉山からなる四阿火山のカルデラに倣って名付けられたようですが、御飯火山は激しい浸食作用を受けた結果、火山の原型が著しく不明瞭になっていることと、各山の溶岩の分布状態が一様でないことから「御飯カルデラ」に疑問を抱く向きもあります。

中央分水界
↑中央分水界
※この地図は国土地理院発行の「数値地図50000(地図画像)」と「数値地図50mメッシュ(標高)」を利用してカシミール3Dで作成しました。

カルデラ (英: caldera) とは、火山の活動によってできた大きな凹地のこと。 「釜」「鍋」という意味のスペイン語に由来し、カルデラが初めて研究されたカナリア諸島での現地名による。
本来は地形的な凹みを指す言葉であったが、侵食および埋没により元の地形を留めていない場合などにも、過去にカルデラであったと認められるものはカルデラと呼ぶ。 Wikipediaより

信州百名山

清水栄一氏が選定した「信州百名山」に御飯岳が含まれています。


参考にさせていただいた資料

最終更新 2016年 9月 7日

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