高井野の地理>名勝
高杜神社〜高井野の鎮守
↑高杜神社拝殿
高杜神社は高井野(現在の高山村高井)に突き出ている”勝山”の麓に位置し、古くから高井野に暮らす人々の信仰の中心となってきました。
現在、高杜神社の社殿と杉並木は高山村指定文化財になっています。
景観と施設
標柱
皇紀2600年(昭和15年、1940年)を記念して建てられた石の標柱です。
表に「郷社延喜式内高杜神社」、右側面に「皇紀二千六百年記念」、左側面に「陸軍大将一戸兵衛書」と彫られていますが、現在は「郷社」の文字は埋められています。
鳥居
高杜神社入り口の鳥居は、嘉永5年(1852年)に三代目亀原和太四郎嘉博によって再建されました。
幅は1丈3尺、高さが1丈8尺8寸で、このときの記録によると、収入は個人の寄進10両、村の負担10両、神社林の木材売却代約13両でした。
門灯篭
秋の例大祭と御柱祭では、鳥居の奥に久保区が建設・奉納した門灯籠に建具が立てられます。
平成20年(2008年)に現在の場所に常設される以前は、鳥居の前で毎回組み立てていました。
杉並木
元和5年(1619年)、安芸から高井野村に移封された福島正則が高杜神社を崇敬して参道に杉を植樹し、
さらに500メートルほど離れた居館まで延長しようとしたとの伝承があります。
昭和60年(1985年)3月、高山村教育委員会が村の大切な文化財として後世に伝えるべく「景観 高杜神社杉並木」の標柱を立てました。
←杉並木
十二燈(提灯)灯籠
元旦祭と秋の例大祭、御柱祭では、神楽殿の前に水中区が建設・奉納した十二燈(提灯)灯籠に提灯が掲げられます。
現在の場所に常設される以前は、拝殿の前で毎回組み立てていました。
神楽殿
境内入り口にある茅葺屋根の神楽殿は、天明元年(1781年)に再建されました。
間口6間半、奥行きは3間半で、このときの名主は太田三郎左衛門、普請世話人は久保組の長兵衛と紫組の次郎衛門、大工は牧久衛門でした。
←神楽殿
神楽殿の屋根は明治27年(1894年)に118円をかけて葺き替えを行い、大正13年(1924年)にも葺き替えをおこなっています。
昭和43年(1968年)には茅葺の上をトタンで覆って耐久性を増しています。
拝殿
拝殿は天明3年(1783年)に赤和組の初代亀原和太四郎嘉重(1744年〜1818年)の手によって再建されました。
このときの名主は梨本弥五衛門で、資材と資金35両を紫の久保田重右衛門が寄進しています。
←拝殿(中央)、神餞殿(右)、直会殿(左)
↑彫刻
拝殿の屋根葺き替え
拝殿の瓦屋根が老朽化して雨漏りの恐れが出てきたことから、平成21年に氏子の寄付と村の助成を得て瓦の葺き替えが行われました。