久保の家
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更新の記録 2007年

2007年12月29日 戻ったデジカメ
2007年12月28日 iPod の充電
2007年12月20日 宛名書き
2007年12月15日 冬越しの準備
2007年12月 8日 iPod
2007年12月 7日 3台目
2007年11月30日 今年のサンふじ
2007年11月17日 米寿
2007年10月27日 粗大ごみの収集
2007年10月22日 糠に新米
2007年10月13日 秋映(あきばえ)の収穫
2007年10月 6日 白い反射シート
2007年 9月30日 藁上げ
2007年 9月17日 がんばれ!荻原選手
2007年 9月 4日 消毒用水施設の修繕
2007年 8月24日 全中ベスト4
2007年 8月21日 サギソウの写真
2007年 8月13日 5年生
2007年 8月12日 出荷終了
2007年 8月 5日 ちょっと違和感
2007年 7月27日 ケーブルテレビ不通
2007年 7月17日 プラムの収穫
2007年 7月11日 藝大へ行ってきました
2007年 6月23日 掘り炬燵
2007年 6月 9日 藝大奏楽堂
2007年 5月26日 草餅
2007年 5月20日 ダブルパンチ
2007年 5月18日 「信州高山村誌」
2007年 5月11日 画像の貼れない掲示板
2007年 4月29日 「春祭り」
2007年 4月23日 「道普請」
2007年 4月14日 「謙信道」とトレッキング
2007年 4月 7日 「道普請の下見」
2007年 4月 1日 区役員引継ぎ
2007年 3月24日 卒業
2007年 3月21日 「村寄り」
2007年 3月10日 『明石ちくわ』とキバナノアマナ
2007年 2月25日 炭焼き
2007年 2月18日 「北信州の道草図鑑」の整理
2007年 2月11日 騎兵第15連隊
2007年 2月 1日 「季語の花」
2007年 1月26日 信濃グランセローズ
2007年 1月 2日 「田舎暮らしの夢」


2007年12月29日 戻ったデジカメ

デジカメの修理をお願いしていたカメラ屋さんから、修理が終わったと電話がありました。
 りんごの収穫で梯子に登っていたときにポケットから滑り落ちて、レンズが収納できなくなってしまったものです。

買ってから1年以上経過しているのでメーカー保証はすでになく、不可抗力による故障でもないため、修理代は相当かかりそうです。
 インターネットで買った値段は消費税込みで29,500円でした。
 これくらいの値段の製品だと、修理するよりも性能の高い新製品を買ったほうが安上がりというのが定番です。

このカメラをインターネットで探したときに、確か最安値ではなかったと思うのですが、5年間保証という項目に惹かれて注文した記憶があります。
 そこで購入した会社に電話したら、近くの店に持って行けとのことです。
 すぐに須坂市内にあるその会社の店舗に持ち込んで修理を頼むとあっさり引き受けてくれ、更に、保証も効くとのことでした。
 販売会社の書類には1年過ぎると80%保証とあったので、2割くらいの負担は仕方がないと覚悟していたので、電話があったときに念のため修理代はいくらかと聞いたところ、5年保証なので無料との回答でした。

戻って来た箱の中に入っていた修理明細を見ると、修理料金合計で26,334円とあります。
 5年保証の効果は絶大ですねえ。
 これからは大事に使いましょう。
 カメラのキタムラさん、ありがとうございました。

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2007年12月28日 iPod の充電

iPod nano をノートパソコンに接続した娘が、いつまで経っても充電できないとまた泣きついてきました。
 USBに接続すると充電中の表示が出ますが、暫くすると消えてしまい、バッテリーの残りを示すマークは増えません。
 デスクトップのUSBにつなぎかえるとちゃんと充電できるので、とりあえず充電はデスクトップですることにしました。

「iPod 充電できない」で検索すると、同じような問題があちこちで発生しているようで、43,900件もぞろぞろと表示されました。
 その最初に出ている「iPod のバッテリーが充電されない」という Apple のサイトには、 可能性のある順に11項目の原因が記載され、5番目に「Windows 2000 をお使いの場合」とあります。
 そこから「iPod:Windows 2000 での正しい充電手順」というページに飛ぶと、
Windows 2000 システムで正しく iPod を充電するには、以下の手順を実行してください、と記載されています。

  1. Windows 2000 コンピュータに iPod を接続します。
  2. iTunes のソースリストで「iPod」を選択します。
  3. 「iPod」の「設定」タブをクリックします。
  4. 「ディスクとして使用する」チェックボックスをクリックします (この設定を表示するには、下へのスクロールが必要なことがあります)。
  5. 「適用」をクリックします。

注意:iPod を取り外す準備ができたら、手動で iPod を取り出す必要があります。
 一度「ディスクとして使用する」を選択すると、その設定は変わらないため、もう一度この手順を実行する必要はありません。
 「ディスクとして使用する」を選択しないと、Windows 2000 コンピュータに iPod を接続しても、充電は行われません。

指示された通りに操作して iPod nano をノートパソコンに接続すると、今度は充電できるようです。
 記憶が定かではありませんが、以前デスクトップに iPod を接続したときには、何もしなくてもリムーバルディスクが勝手にできていたような気がします。
 同じ Windows2000 なのに、不思議ですねえ。

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2007年12月20日 宛名書き

あっという間に時間が過ぎ、今年も宛名書きに追われています。
 何かずくをやんで簡単に宛名書きできるソフトがないかと探していたら、「送り状印刷プログラム Version 3.00」という、Excel をベースにしたソフトを見つけました。
  ・印刷帳票の作成は自由自在
  ・印字調整はセルを挿入・削除するだけ
  ・編集フォームで簡単編集
  ・エクセルの機能を豊富に活用できます
  ・住所から郵便番号を生成(郵便番号から住所も可)
などといった特徴があり、定価は10,500円もするのでとても手が出ませんが、体験版は多少制限はあるものの、何とか使えそうです。

さっそくインストールして試してみたところ、VisualBasicの引数5がどうとかいうエラーが出て使えません。
 Office2000 がおかしくなっているようで、一旦削除してから再インストールしたところ、こんどは正常に動くようになりました。

Excel で住所録を作成すると、送る側と受ける側の両方を出力してくれ、配置も自由にでき、封筒などにもいろいろ応用できるようです。
 上高井郡高山村高井と高高高が続く我が家の住所を書くのが面倒で、腱鞘炎になりそうだと嘆く家人のぼやきが、これで少しは減ってくれるでしょう。

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2007年12月15日 冬越しの準備

空模様が怪しくなってきたので、慌てて車のタイヤをスタッドレスに交換しました。
 3台分、12本の交換はかなり体力を使うので、防寒服を着ていると汗ばんできます。
 除雪機をいつでも出動できる状態にしておこうと、エンジンオイルを追加し、さてエンジンをかけようとすると、うんともすんとも言いません。
 バッテリーが完全に上がってしまったようで、充電器を繋いで一晩チャージすることにしました。

畑に行って、すっかり枯れているワラビを刈り払い、1箇所に集めて火をつけて燃やします。
 枯草なども集めて一緒に燃やしていると、ちらちら白い物が風に乗って舞ってきました。
 りんご畑に肥料を撒いていると、みぞれ混じりの雪になり、あっという間に畑が真っ白になって、どこに撒いたのか分からなくなってしまいました。

夕方には大雪注意報が発表され、冬越しの準備が終わらないうちに本格的な冬に突入してしまいました。
 ぶどう畑の肥料撒きとアスパラの施肥、苗間作りに使う枯葉集め、焚き付け用の杉っ葉拾いはまだこれからです。
 冬の間に使う薪も畑に積んだままで、家に運んでいません。
 幸い、どんどん焼きに使う材木は、この間の日曜日にどうろく神のそばまで運んでおいたので、雪の中の伐り出し作業はしなくて済みます。
 いよいよ長い冬の始まりです。

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2007年12月 8日 iPod

新しい中古パソコンにiPodが繋がらないと娘が騒いでいるので覗いてみると、iPodに音楽を入れるためのiTunesというソフトが使えないようです。
 AppleのサイトでiTunesをダウンロードしようとすると、iTunes 7.5 は Windows XPまたはVista とあり、Windows2000には対応していません。
 そこで以前ダウンロードしておいたソフトをインストールしたのですが、使おうとするとエラーメッセージが出て進めません。
 仕方がなく、何かあるはずだとインターネットでいろいろ探すと、「iTunes for Windows まとめ」というサイトで、旧バージョンのソフト7.3.2.6(2000用)が見つかりました。

ここには最新版のシステム条件として
 ・対応OSは XP or Vista(2000(Ver.7.4以降) / Me / 98 / 95 不可)
となっており、
 7.4.1.2(このバージョンから2000には非対応)
とあることから、古いOSは見捨てられたようです。
 ところが、

最新バージョンのiTunesについて
  最新バージョンのiTunesは、環境によって不具合が起こる可能性があります。
  自分でトラブルを解決できる自信のない人はアップデートを控えるように。
  トラブルなどの情報は、2ちゃんねるにある"iTunesスレ"やFAQのページで各自確認するように。

ともあります。
 古いものには対応しないが、新しいものは危険を覚悟して使いなさい、と言うことでしょうが、もともとがAppleなので、Windowsでも利用できるだけ良しとしましょうか。

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2007年12月 7日 3台目

8年前に買って、家人が主に家計簿とゲームに使っていたノートパソコンのキーが何個か割れて操作しにくくなり、中でも「↓」のキーはどこかへ行ってしまい、ボールペンの先で押していました。
 ノートパソコンとは名ばかりで、一昨年に液晶ディスプレイが壊れてからは外部ディスプレイを使っているので、定置式と同じです。
 そろそろ買い換え時かなと思い、手頃な中古を探すことにしました。

条件としては、ノートパソコンのおまけに付いていた家計簿ソフトをそのまま使えることが家人の要求です。
 正規版の家計簿ソフトを購入すれば古いデータも引き継いでくれるのでしょうが、それも面倒です。
 同じメーカーなら、おまけのソフトを新しいパソコンでもすんなり受け入れるだろうと安直に考え、OSも今と同じものがインストールされている機種を選び、値段と相談して発注しました。
 主な仕様は
  CPU:Celeron1200(1.2GHz)
  メモリー:128MB
  ハードディスク:60GB(オプションで新品を使用)
  DVD-ROM/CD-R/RWコンボ内蔵
  Windows2000
といったところです。

届いたノートパソコンは、液晶の一部に強く押してできた痕跡のようなものがありますが、5年物の中古にしてはまあまあでしょう。
 アプリケーションが何もないせいか、あっという間に立ち上がります。

使用者名はセットアップ時の内容なので、レジストリを書き換えます。

・[スタート]−[ファイル名を指定して実行] から REGEDIT を起動
 ・HKEY_LOCAL_MACHINE \Software\ Microsoft \Windows NT \CurrentVersion の右側の
 RegisteredOrganizationと
 RegisteredOwner
をダブルクリックして値を書き替えて変更完了です。

ユーザー名とパスワードは今までのノートと同じにし、LANケーブルをルーターに繋いでマイネットワークに参加しました。
 今までのノートは別室に移動してユーザー名を変え、無線で通信して3台だけのLANの完成です。

古いパソコンの家計簿ソフトで保存したデータを、新しい中古パソコンにインストールした家計簿ソフトでしっかり読み込んでくれました。
 これで家計簿の入力がはかどればいいなと淡い期待を抱いています。
 でも、こうした行為も海賊行為なんでしょうかね。

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2007年11月30日 今年のサンふじ

いつまでも色が着かなかったため、雪が降ってもまだ収穫中だったサンふじでしたが、なんとか11月中に終わらせることができました。
 遅霜によるサビ、雹害、鳥突付き、つる割れ、変形果と、まともに出荷できないりんごが多く、歩留まりは良くありません。
 また、手がまわらず、摘果が不十分だったため、小粒のりんごが圧倒的でした。

収穫を終えても葉っぱは青々としており、葉の養分を全部果実に送り込んでいないようです。
 そのせいか、蜜はのっていても味は極上とはいえません。
 そんなこんなで、今年のりんごの出来はやっと65点で、ぎりぎり合格といったところでしょうか。

来年は今年以上に手がまわらなくなることは確実なので、りんごの木を何本か斬って、手が掛けられるだけにする必要があります。
 収穫が終わったあとの仕事がまた増え、この調子だと正月も休む間がなさそうです。

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2007年11月17日 米寿

今朝は真冬並みに冷え込んで氷点下2℃まで下がり、畑は霜で真っ白で、水溜りには氷が張っていましたが、日中はきれいに晴れて穏やかな小春日和になりました。

今日は爺ちゃんの誕生日で、満88歳になりました。
 夜はお寿司とケーキでささやかにお祝いし、家を離れている孫がお祝いの電話をかけてくれました。
 一般に米寿のお祝いは数え歳でやるのだそうですが、お祝いすると、すぐにぽっくりいってしまうといわれ、何もしませんでした。

来月は運転免許証の更新で本人は更新するつもりでいるようです。
 しかし、大きな事故を起こして世間に迷惑をかけてはいけないので返上させ、かわりに電動車いすでもプレゼントしましょう。

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2007年10月27日 粗大ごみの収集

今日は年に1回、村で行う粗大ごみの収集日で、収拾場所の南部スポーツパークへ朝から手伝いに行きました。
 雨が時折激しく降る中を、受け付け開始の30分以上も前から、荷台に山積みの粗大ごみを積んだトラックや軽トラックが並んでいました。
 あらかじめ各戸に配布された「粗大ごみ搬出券」を持参し、軽トラック1台分2,000円、普通トラック1台分4,000円、タイヤは1本300円を払って持ち込みます。

バッテリー、自転車、家電製品、家具、タイヤ、ポット、アルミ製品、鉄くず、布団、プラスチック、スキーと区分けし、回収業者、各区の衛生組合長、役場の職員のみなさんが手伝ってそれぞれの場所に下ろします。
 大人物の自転車と、パソコン、プリンター、ビデオデッキ、ラジカセなどは、荷降ろしするとすぐに業者が専用の車に積み込んで行きます。

家電リサイクル法対象のエアコン、テレビ、冷蔵庫・冷凍庫、洗濯機の持ち込みはできず、農業を含む事業から出る廃棄物も対象外です。
 また、情報無線で「ベッドのマットの中のスプリングは、はずして持ち込んでください」と繰り返し放送しています。
 ところが、ベッドのマットをばらさずに持ち込む人がいて、言い争いが起きていました。
 特定フロンを含んでいて扱いが規制されている冷凍式除湿機も持ち込まれていました。
 なかなか徹底しないようです。

持ち込まれたものの中には、新品同様の子供用自転車やスキーなどがいくつもありました。
 いつか使うかもしれない、あるいは誰かにやってもいいと取っておいたのでしょうが、二度と使われることがなく、結局廃棄物となってしまったようです。
 Reduce(リデュース:減らす)、 Reuse(リユース:再び使う)、 Recycle(リサイクル:再資源化)の3Rも、なかなか徹底しませんね。
 そんな中で、年配の方が、廃棄物の間を歩き回って探し物をしておられました。
 何か掘り出し物があったでしょうかね。

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2007年10月22日 糠に新米

米櫃の底が見えてきたので、このあいだ山田の家から運んできたばかりの新米の籾一袋を軽トラックに積み、コイン精米機に運んで行きました。
 米は白米にすると表面が酸化して急速に味が落ちるので、普段は籾のまま保存しておき、食べる米がなくなったら精米しています。
 コイン精米機の籾投入口に籾を空け、コイン投入口に百円玉を投入してスイッチを押すと、籾摺りから精米までやってくれます。

籾摺り機や精米機は、白米をスーパーや米屋で買う人には無縁ですが、籾や玄米で保存して少しずつ食べる人にとっては必需品で、今は家庭用の精米機なるものも各社から発売されているようです。
 我が家でも米作りをしていた頃は、物置に中古の籾摺り機と精米機を置いて、自宅で籾摺りと精米をしていました。
 25年前に米作りを止めてから機械は処分してしまい、1年分買い置いた籾を精米所に依頼して精米し、最近は、いつでも好きなときに利用できるコイン精米機のお世話になっています。

「お釣りをお取り下さい」という女性の声がして機械が停止すると精米の終了です。
 ところがホッパーに溜まっている白米を見ると、どうもいつもより量が少ない気がします。
 おかしいなと思いながらホッパーから袋に移すと、籾を満杯に入れてきた袋に半分しか溜まっていません。
 投入した百円玉の数はいつもと同じです。
 美味しそうな新米なので、精米機が半分食べてしまったのでしょうか。

訝りながら、精米して出た糠を取り出すと、ザラザラッと音がして落ちてくるので、ますます変です。
 糠の中に手を入れると、つぶつぶした感触が指先に伝わってきます。
 「糠に釘」というくらいで、本来は細かな粉状の糠ばかりで、粒は混じっていないはずです。
 そこで糠を一掴みし、明るい光の下で良く見ると、糠に混じって水晶のような粒が光っています。
 正常であれば落ちてくるはずの白米の粒が、機械の故障で糠に混じって排出されてしまったようです。

ただ眺めていても仕方がないので、半分になった白米と、白米の混じった糠を家に持ち帰りました。
 米という漢字を分解すると八十八になることから、昔の人は八十八回手を掛けて米を作ったといい、大事にしてきました。
 今年の新米も、85歳になる山田の家の爺ちゃんが、痛い膝をなだめながら苦労して作ってくれたもので、一粒でも無駄にする訳にはいきません。
 何とかして糠の中の米粒を取り出すうまい方法がないか思案中です。

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2007年10月13日 秋映(あきばえ)の収穫

りんごの中生種”秋映(あきばえ)”を収穫して、農協の共選所に運びました。
 ”秋映”は長野県中野市の小田切健男さんが「千秋」と「つがる」を交配させてお作りになった品種で、1993年(平成5年)に品種登録された新顔です。

表面が赤黒くなり、表面にワックスが浮き出て手がねばねばするようになると収穫時期です。
 ところが、これはいい玉だと思ってもぎ取っても、鳥や蜂に突付かれた痕があると売り物にはなりません。
 高い場所にあるいいりんごほど、被害に遭う割合が多くなっています。

いい色の玉だけを選んで、23箱収穫しましたが、結局、生食用に出荷できたのは19箱だけでした。
 しかも、この中には見落としも含まれているので、共選所で更に厳しく選果されると、最終的に販売されるのは7割がやっとでしょう。

夕方、家に帰ると、郵便受けに農協からの通知が投げ込まれていました。
 「秋映えの最終受付は10月17日です」とあり、思わず「なんじゃこりゃ」といってしまいました。
 もっと早く分かっていたら今日全部収穫したのに、また同じ場所に梯子をかけてよじ登らなければいけないのか。

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2007年10月 6日 白い反射シート

10月になり、サンふじの着色を良くする作業に取り掛かっています。
 葉面散布剤を散布し、日光を遮っている葉を摘み、全面に日光が当たるように実を回し、そして実のお尻にも光が当たるように反射シート敷きます。

以前は反射シートといえば、ポリエチレンにアルミ蒸着した銀色のシートだけでした。
 銀色なので反射シートといわずに「シルバー」というだけで、果樹農家の間ではしっかり通じます。
 「もうシルバー敷かったかい?」「ああ、きんな敷いちまったで」

ところが去年あたりからシルバー一辺倒だった反射シートの世界に、白いシートが登場してきました。
 透湿性の不織布でできており、農協の資料には能書きがいろいろ書いてあります。

効果はありそうですが、難点は値段が高いことで、1本100メートルが15,000円もします。
 とりあえず2本だけ買って、畑の一部に敷いてみました。
 投資効果は収穫して味を見て確認です。
 ところで、これからは白い反射シートをなんて呼べばいいのかな。

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2007年 9月30日 藁上げ

昨日の朝、婆ちゃんの実家の山田の家から、稲扱きが終わったので藁を取りに来るように、と電話がありました。
 25年前に稲作を止めた我が家は、籾と稲藁を買って使っています。
 空模様が心配だったのですぐに軽トラックで出かけたら、85歳の山田の爺ちゃんが、はぜ掛けに使ったはぜ棒をせっせと片付けていました。
 今年は7月の天候が不順だったので、籾の出来はまあまあだったようですが、田植えや稲刈り、脱穀を元気にこなして、まだまだ現役です。

荷台に60束ほど積み上げ、県道をそろりそろりと走ってぶどう畑とプラム畑の畔に積み上げ、青シートをかけました。
 稲藁は果樹栽培にとって重要な資材で、特にはぜ掛けして天日で乾燥した藁は用途が広い貴重品です。
 秋、雪が降る前にぶどうの木に巻いて、冬季の厳しい寒さで木が凍みるのを防ぎます。
 冬の間に積んでおいた藁は、春になると短く切って畑に撒いたり、ぶどうやりんごの木の根元に敷いて、乾燥を防止します。
 また、丈の長い藁は、物を束ねる”結びすげ”に使うので、家で保管しておきます。
 その他、どんどん焼き用に必ず1束は取っておきます。
 ただ昔のように藁沓や菰、俵などを編んだり、縄を綯うことはなくなりました。

今朝はぱらぱらと雨が降り出し、日中ときどき強くなって、珍しく一日中雨降りで、この天気では、今日稲刈りや稲扱きを予定していたお宅はみんなお休みです。
 山田の爺ちゃんが頑張ってくれたお陰で、昨日のうちに藁上げを終わらせ、よく乾いたいい藁を確保することができました。
 家で食べる籾も分けてくれるといっていたので、よかった、よかった。
 来年も元気に頑張って稲作りしてもらいたいものです。

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2007年 9月17日 がんばれ!荻原選手

連休で帰省している爺ちゃんの孫が、昨日松本で行われた北信越BCリーグ・信濃グランセローズ対石川ミリオンスターズ戦の観戦に行ってきました。
 信濃グランセローズの荻原選手は高山村久保出身で、爺ちゃんの孫の幼馴染であることから、畑でラジオからグランセローズの試合経過や結果が流れると、その度に一喜一憂していましたが、後援会にも入会していながら、これまで試合に出かける機会がなく、ようやく実践で応援することができました。
 ついでに会員用の真っ赤な帽子もいただいてきました。

荻原選手はチームで2番目の小柄ながら、打率はリーグ3位、盗塁も7位と活躍しています。
 特に8月は4割以上の打率を上げ、打率・打点・盗塁でチームトップの成績を残し、チームに欠かせない選手としてファンが選ぶ月間MVPに選出されました。
 チームでは学生時代に経験した守備位置だけでなく、いろいろ担当するので、練習も他人の何倍もしなくては務まらないでしょう。
 これからも怪我をしないよう、みんなを楽しませてください。
 荻原選手がんばれ!

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2007年 9月 4日 消毒用水施設の修繕

りんご畑の草刈をしていたところ、雨が降ったわけでもないのに、一ヶ所水溜りがありました。
 少し土を掘ってみると、下からきれいな水が湧き出しているので、畑の中に埋設してある消毒用水の配管から漏れているのだろうと見当をつけました。

この辺りは昔から水の弁が悪い所で、川の水を汲み上げて水槽に溜めて消毒に使っていましたが、消毒作業の効率化のためにスピードスプレヤーが普及するようになると、水槽に溜めた水だけでは不足になったため、共同で消毒用水施設を敷設して利用することになりました。
 山の裾に大容量の地下水層を設けて水を溜め、そこから下に向かって配管を埋設し、各畑に分配しています。

水槽のある場所から末端まで約1km、標高差は100m以上もある施設は、年月が経って老朽化が進んでいます。
 我が家の畑で漏れた場所は、ちょうどスピードスプレヤーの通路になっているので、塩ビの継ぎ手がひび割れしていました。
 しかもかなり前から漏れていたようで、塩ビパイプの周りは黒ずんで少し溝臭く、りんごの根が根腐れを起こしていました。
 お隣の水道屋さんにお願いし、半日かかってやっと継ぎ手を交換していただきました。

この設備を始めたころはみなさん働き盛りで、果物も高価格で販売できましたが、寄る年波で人も設備も加齢が進み、維持管理が大変になってきました。
 夏草の中に、配管の立ち上がりと蛇口がぽつんと立っている耕作放棄地も見受けます。
 もうしばらくして耐用年数が過ぎ、再度新設しようとすると、参加者は減少して1軒当たりの負担は相当大きくなりそうで、安い果物を作って元が取れるか難しいところです。

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2007年 8月24日 全中ベスト4

高山中学の女子バレー部が、岩手県北上市で開かれていた第37回全日本中学校バレーボール選手権大会(「夏の中学バレー」)で、見事、準決勝まで進出しました!
 今日、村の同報無線で、大会から帰ってくる選手を出迎えるように、と放送していました。
 我が家にはもう中学生はいませんが、全国大会でベスト4ですから、とても嬉しいです。

優勝経験のある長野市のS中学は、今回優勝した東京のチームに、準々決勝で惜しくも破れてしまいましたが、聞くところによると、長野市だけでなく、近隣市町村から優秀な生徒が集まっているのだそうです。
 高校野球やその他のスポーツでは、こうしたことはもう中学生から当たり前なんですね。

今朝のラジオでは、中条村の中条中学吹奏楽部が、長野県吹奏楽コンクールで金賞を受賞し、8月26日に開かれる東海大会に向けて練習中と放送していました。
 演奏者がたったの16名というのがすごい!
 B編成の部(30人未満)は全国大会がなく、これが最後の大会ですので、実力を充分に発揮して、楽しく演奏して欲しいですね。

確かめてはいませんが、高山中の選手も中条中の演奏者も、多分みんな村民で、余所からの移民はいないか、いてもごくわずかでしょう。
 そんな村の若者が全国レベルで活躍しているのを見ると、つい応援してしまいます。
 『村っ子、頑張れ!』

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2007年 8月21日 サギソウの写真

縁側に置いてある素焼きの植木鉢で、真っ白いサギソウの花が咲いています。
 月並みですが、清楚とか優雅という言葉がぴったりの花ですね。

道草図鑑は自前の写真を載せていますが、実はサギソウの写真だけは借り物でした。
 これは特別な思い入れがあったので、敢えて潜り込ませていたものです。

お盆に京都の家が、サギソウの蕾がたくさん付いた鉢を車に積んで、わざわざ持ってきてくれました。
 一昨年初めて咲かせたものが、今年は20鉢にも増えたのだそうです。

みんなが帰ったあと、本当に白い鳥が舞うような花が少しずつ咲き出しました。
 これで著作権を気にせずに、自前の写真を載せることができます。

8月22日追加
 そうこうしているうちに、また京都からサギソウの写真が送られてきました。
 きれいに舞っています。

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2007年 8月13日 5年生

拙いウェブページを開設して丸4年が過ぎました。
 貴重な通信代金を費やしてご覧いただいたみなさんに厚くお礼申し上げます。
 学校で言えば今日から5年生ということになります。
 これといって目新しいことはありませんが、日々の暮らしをぽつりぽつりと追加して行きたいと思います。
 どうぞよろしくお願いいたします。

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2007年 8月12日 出荷終了

猛暑の中、木に残っていたソルダムという品種のプラムを収穫しました。
 夜なべして荷作りし、そのまま共選所に運んでパレットの上に載せ、やっとプラムの出荷が終了しました。

今年は忙しくて消毒をサボったところ、虫食いが大量に発生してしまい、一つ一つ重さを計りながら確認してパック詰めしますが、それでも見落としがあり、段ボールに並べる時に小さな虫食いを見つけることがあります。
 多少の雹害と大量の虫食いで、収穫量は例年の8割といったところでしょう。

例年、最後の出荷がいつもお盆過ぎまでずれ込んでいたのに、今年はなんとかお盆前に終わらせることができました。
 これで少し落ち着いてご先祖様をお迎えできます。
 ご苦労さんでした。

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2007年 8月 5日 ちょっと違和感

昨夜は高山村役場の駐車場とその周辺で信州高山祭が開催され、久保区も区長さんを先頭に「ひんのべ音頭」の踊り流しに参加しました。

『ひんのべ』は、小麦粉を捏ねて引き伸ばし、煮干などを入れて煮立たせた鍋にちぎって入れ、味を付けたもので、いわゆる「すいとん」です。
 昔から米が貴重品だった高井野では、夕食の主食は必ずといっていいほど粉物で、『ひんのべ』はその代表ということから村の象徴として選定されたようです。
 踊り流しに先立って無料サービスされた『ひんのべ』は具沢山で、発泡スチロールのお椀の中に『ひんのべ』は二切れしか入っていませんでした。
 季節の野菜が入っていれば上等だった『ひんのべ』も、ずいぶん様変わりしたものです。

『ひんのべ』をいただいた後、「ひんのべ音頭」に合わせて踊りが始まりましたが、できてから20年にもなるというのに、年寄りには今一つしっくりきません。
 古くから伝わる民謡ではなく、新しく作られたから、というのともちょっと違い、その理由は歌い出しにあります。
 著作権を無視して引用すると
 「おらがよ〜、おらがたかやまむらではよ〜」
と始まる、この「おらが」がひっかかります。

実は、管理人の暮らす地域では「おらほ」とか「おらち」という言葉は普通に使いますが、「おらが」という言葉使いはありません。
 作詞を依頼した人も、依頼された人も、そんなことはお構いなく、某国営テレビなどで放送されている「おらが」をそのままお使いになったのでしょう。
 まあ、物心がついた時からずっと「おらがよ〜」と歌っている若い人や、普段から方言を使わない人には、全く違和感なく受け入れられているんでしょうね。
 でも全国共通の方言なんてなんか変だな、などと考えながら歩いていたら、いつの間にか踊りの列から外れていました。
 じじいの感覚は世の中の流れと大きくずれているようです。

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2007年 7月27日 ケーブルテレビ不通

朝7時過ぎ、突然テレビが映らなくなりました。
 テレビが壊れたのかと思い、あちこちいじってみましたが、画面は砂嵐のままです。

パソコンでメールチェックしようとすると、接続できません。
 インターネットにも繋がりません。
 ここまできて、どうもケーブルテレビの回線がおかしいのではないかという気がしてきました。

ご近所でケーブルテレビに加入しておられるお宅の様子をお聞きすると、全く同じだそうで、間違いありません。
 まあ、テレビやインターネットがなくても、ラジオや電話は健全なので、すぐに困ることはないので、しばらく様子を見ることにしました。

昼過ぎに確認するとすべて復旧しており、確認すると不具合の原因は須高ケーブルテレビの機器のトラブルだったようです。
 半日程度の不通だったので、生活には全く支障がありませんでしたが、これが何日も続くとやはり不便でしょうね。
 災害で電気や水道が止まっているみなさんの気持ちが、ほんのちょびっと分かったような気がしました。

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2007年 7月17日 プラムの収穫

今プラムの収穫の真っ最中です。
 「大石早生」という品種は収穫してからも追熟するので、少し赤味が出てきたところを見計らって収穫し、大きさ別に分けてパック詰めします。
 今年は粒が小さく、採るのも詰めるのも手間が掛かります。

きのうの午前中、梯子に登ってプラムを採っていたら、突然地面が波打って木が大きく揺れ、危うく転げ落ちそうになりました。
 これまでの地震の経験から、震度は4から5といったところだと見当をつけ、車のラジオを点けたら震源地は新潟だといっています。
 間もなく、取材か警察のヘリコプターが北に向かって飛び立つのが見えました。

つい3年前に大きな地震があったばかりなのに、また同じような強い地震が発生したようで、被害に遭われた方はお気の毒なことです。
 昼になって家に帰ると、築後93年のあばら家は無事に建っていて、一安心です。
 一人で留守番していた爺ちゃんは、蛍光灯が大きく揺れるので、このまま家の下敷きになって死ぬかと思ったといっていました。

午後、ラジオで地震情報を聞きながら荷造りしました。
 パックに7個から8個入るLサイズがほとんどで、雹に打たれた傷も多く、やや不作といったところでしょう。
 今年は遅霜、降雹、台風に地震と、自然災害のオンパレードです。
 この後いったい何が起きるのでしょうか。

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2007年 7月11日 藝大へ行ってきました

猛烈に忙しい農作業をサボる後ろめたさと、自分だけでずるいという家人の冷たい視線を背中に感じながら、こんな機会はもう二度とないと思い、藝大の行事に招かれた爺ちゃんの弟にのこのこついて行きました。

上野駅の動物縁側の改札を出て10分ほど歩くと、藝大の立派な門にたどり着き、そこを入ると正面に奏楽堂が鎮座していました。
 入口で到着をお待ちいただいていたご担当の大石先生に導かれて会場に入ると、ステージではサイキックラバーのリハーサルの最中でした。
 写真撮影についてお伺いすると、リハーサル中ならいいが本番は撮影禁止、ただしトヨタさんのロボットはリハーサルも駄目ということでした。

フルート奏者の高木綾子さんにインタビューされ、ホルンとトランペット、トロンボーンを紹介していただいた後、台東区の小学生のみなさんも加わって、「オモチャのシンフォニー」が演奏されました。
 さすが藝大の学生さんだけあって、吹きにくい木製楽器でもちゃんと演奏されましたが、トロンボーンはかなりてこずっておられましたね。
 トヨタのトランペットロボットと藝大の学生さん有志のオーケストラの共演も楽しませていただきました。

はじめにこの話を聞いたときは、まさか本当になるとは思いませんでした。
 世界的なフルート奏者の東京藝術大学演奏藝術センター長さんが、個人経営の家具職人を尋ねて来られたなんて、誰も信じませんよね。
 お陰さまで貴重な体験をさせていただきました。
 木工楽器に目をつけていただいた大石先生はじめ東京藝大のみなさん、ありがとうございました。

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2007年 6月23日 掘り炬燵

寒がり、特に足元が冷たいという年寄りがいると、炬燵をなかなか片付けられません。
 昔から、田植えの時期に冷たい雨が降ると、水に浸かって冷えた手足を炬燵で温めていました。
 それでも、いくらなんでももう夏至を過ぎたので、炬燵を仕舞うことにしました。
 炬燵櫓を撤去し、空いた所に床板を嵌め、畳を載せると掘り炬燵の片付け完了です。

我が家に炬燵がないのは夏の3ヶ月間だけです。
 秋が早いと9月中にまた出番がくるかもしれません。

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2007年 6月 9日 藝大奏楽堂

このところ毎日、雷が鳴って、強烈な雨が降ってきます。
 ずぶ濡れになってプラムの摘果を一段落させ、お茶にしようと家に戻ると、ちょうどそこに趣味で「木工楽器」作りをしている爺ちゃんの弟が来ていました。
 何でも、前々から話題になっていた藝大の催しに出演することが本決まりになったそうで、大学から送られてきた封筒を持参しています。
 中には、出演依頼の手紙と当日の進行表、それに立派な(藝大だから当たり前ですね)チラシが何枚も入っています。

東京藝術大学創立120周年企画 東京藝術大学演奏芸術センター企画公演
藝大(げいだい)とあそぼう
<未来へのチャレンジ>
今回のキーワードは”チャレンジ”!
2007年7月8日(日)
東京藝術大学奏楽堂
ロボットがトランペットを演奏!そして「木製」の金管楽器って?

出演者の中に、トヨタパートナーロボットなどと並んで、小林昭男(木製金管楽器製作者)と確かに書かれています。
 去年、テレビ番組に出させていただいたのがたまたま藝大の先生の目に止まり、作品を見ていただいたという話は聞いていましたが、  まさか本当に藝大の奏楽堂にまでお呼びがかかるとは思っていませんでした。
 ましてや家族も親戚も、奏楽堂はもちろん、藝大の場所が何処にあるのかさえ知りません。
 当人は、藝大出演のストレスで頭が痒くなるといっています。
 「木工楽器」の広報担当としては、どうなることか、とても楽しみです。

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2007年 5月26日 草餅

お昼に畑から帰ると、玄関に紙包みが置いてありました。
 留守番をしていた爺ちゃんに誰が来たのか尋ねましたが、たまたまトイレに入っていたので、誰か分からないと言っています。
 そこで紙包みを開くと、一つずつラップに包まれた草餅が入っていて、ご丁寧に「あずき」、「うぐいす」、「白いんげん」と餡の種類が書かれたシールが貼ってあります。

これを見て、どなたが置いていかれたのかすぐにピーンときましたねえ。
 数年前、Tさんに蕨の苗を数本差し上げたところ、畑に植えられたのが翌々年になってかなり増えたそうで、そのお礼だといって作り立ての草餅をお持ちになりました。
 去年も同じように包装された草餅をいただいたので、Tさんに間違いありません。
 律儀な方で、かえって恐縮してしまいます。

午後の休憩のときにみんなで食べようとすると、婆ちゃんが「五月八日の草餅は灸をすえたほど」といいました。
 「なんじゃい、そりゃあ」と聞くと「お灸をすえたように体に効くのだ」といいます。
 確かに草餅に入れるヨモギは古くから民間薬として利用されてきたので、若芽を摘んで餅に入れて食べると、お灸のような薬効があるということなのでしょう。

いくら健康にいいといってもお灸は熱いので遠慮しますが、美味しいものなら大歓迎です。
 噛みしめるとヨモギの香りが口の中に広がりました。
 今年もごちそうさまでした。

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2007年 5月20日 ダブルパンチ

ブドウの芽が伸びてきたので様子を見に畑に入り、葉が異常なのに気がつきました。
 孔が開いたり、破れてボロボロになった葉がそこら中で目に付き、ひどいものは千切れて変色しています。
 害虫が食べたにしては虫の姿がどこにも見えず、病気でもなさそうです。

5月10日の午後3時頃、夜のように真っ暗になって激しい暴風雨になり、そのとき田で仕事をしていた方の話では、パラパラッと雹が降ったそうです。
 近所のブドウ畑を覗くと、多かれ少なかれ同じように破れた葉があちこちにあります。
 結局、まだ小さくて柔らかい葉に雹が当たってできた傷が、葉が生長するに従って目立ってきたのだろうということになりました。

2005年6月4日の夜、激しい雹が降り、やっと指先くらいの大きさになったプラムとリンゴの幼果が傷だらけになりました。
 ブドウは葉が叩き落され、枝だけになった場所もありました。
 結局、プラムとリンゴはまともな売り物にならず、過去最悪の年でした。

今年は4月末に霜が降りたため、プラムとリンゴの花びらが茶色く変色し、その後、受粉して膨らんだ実の数が例年より少ない気がします。
 霜と雹のダブルパンチをまともに受けると、実が大きくなってもサビや凹みだらけになってしまいます。
 自然が相手の百姓は、せめて台風が来ないことを祈るばかりです。
 「雀斑笑窪(そばかすえくぼ)リンゴ」とでも名付ける準備をしておこうかな。

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2007年 5月18日 「信州高山村誌」

2003年(平成15年)の5月にウェブページの制作をはじめてから、もう丸4年が過ぎました。
 この間、村の歴史や自然、植物、蝶などについて少しずつ掲載してきましたが、もともと専門知識がなかったので、たくさんの資料を参照させていただきました。
 中でも2004年(平成16年)3月から刊行された「信州高山村誌」は、あちこちで引用させていただいています。

「信州高山村誌」は村政施行50周年を記念して、平成10年度から1億円あまりの費用を投じて取りまとめられたもので、第一巻自然編、第二巻歴史編、第三巻地誌編の全三巻からなる、たいへん立派な資料です。
 著作権の問題があるので、引用するに当たってはすべての項目に出典を記載し、そのうち正式に許可をいただこうと思っていました。
 このあいだ、午後からの村の会議で役場へ行ったついでに教育委員会へ顔を出し、「引用の許可をいただきたいので手続きを教えてください」とお願いしたところ、「村誌の編纂は終了して教育委員会の担当ではなくなっており、今は役場の総務課が窓口になっている」とのことです。
 そこで総務課へ行って同じお願いをすると、村誌編纂室長をしておられた青木先生に電話で確認していただき、『引用した箇所に出典を明記することで許可する』とのお答えをいただきました。
 どうもありがとうございました。

夕方、会議が終わって役場の玄関に出てくると、そこで別の会議にご出席の青木先生にお会いしました。
 中学校長や公民館長などを歴任された青木先生のお顔は良く存じ上げていたので、立ったままでしたが、快く引用を許可していただいたお礼を申し上げることができました。
 黒岩前村長さんはじめ多くの関係者のみなさんの知識が凝縮されている村誌ですので、拙いウェブページで少しでも宣伝させていただければと思っています。

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2007年 5月11日 画像の貼れない掲示板

お客様から画像掲示板に写真を貼れないとご連絡をいただきました。
 『拡張子がだめらしいです』とあったので、よく確かめもせずに「jpg, gif, jpeg, png」でお願いしますとお答えしました。
 ところがお客様の写真の拡張子は【jpg】だということでした。

迷惑書き込み防止をした掲示板の設定が影響しているのかなと思い、投稿条件を変えてみましたが効果はありません。
 画像掲示板をお借りしているNet4u.orgさんの「よくある質問 FAQ」を見ると

Q2-9 アップロードできない。
  ファイル名は半角英数字をお使用してください。全角文字はご利用いただけません。保存形式とファイル拡張子が一致していることをご確認ください。

とあり、この点も問題なさそうです。
 結局よく分からないので、お客様から写真をお借りして試してみました。
 すると、『拡張子が***なのでアップロード出来ません。』と表示され、次に進みません。
 写真の拡張子は確かに【jpg】なのに【***】が拡張子だと言い張っています。
 ところがファイル名を良く見ると【honyarara.***.jpg】となっており、どうも【honyarara】に続く【.】から後の【***】を拡張子と見做しているようです。

ファイル名に【.】が2個以上ある画像が貼れないのは、余所様の掲示板でも経験したことがあり、どうもプロバイダさんの特異性のようです。
 試しにファイル名を【honyarara***.jpg】とすると、すんなり受け付けてくれました。
 今のところこれしかうまい方法が見つからないので、お客様にはお手数ですが、ファイル名の【.】を一つにしていただくことにします。
 写真1枚貼るだけなのに、なかなか面倒なものですね。

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2007年 4月29日 「春祭り」

毎年4月27日は高杜神社の春の例大祭「祈念祭」です。
 1年の豊穣と人々の平安を祈念する大祭ですが、秋と違って神楽の奉納はなく、各区の氏子総代と区長による神事が執り行われます。
 以前は各区で行っていた幟の奉納も、今は久保区だけになっています。

かつて久保区の鎮守社である久保神社(熊野権現から養蚕神社、久保神社と変遷した)は、4月26日に宵祭が行われ、翌27日の午前中に区の役員によって神事が行われていました。
 ところが勤め人が多くなって平日にお祭をすることが難しくなったことから、4月末の土日曜に変更になり、今年は28日が土曜のため、27日に高杜神社と久保神社の幟竿を立てる「幟立て」を行い、28日の夜に宵祭、29日の午前に神事を行いました。

午後6時半に神楽が公会堂を出発し、区長さんのお宅で獅子舞いを奉納します。
 一杯いただいてから公会堂に戻ってまた獅子舞いをし、午後8時に公会堂から久保神社に移動して獅子舞いを奉納します。
 日中は強い風雨が吹き荒れて心配しましたが、夕方には雨が上がり、傘を差さずに神楽を運行できました。

29日朝9時から勝山神主さんをお招きして久保神社の神事を執り行いました。
 区長さんのお宅に役員が集合し、塩・米・酒・肴・野菜・果物・御供のお供えを三方に載せて移動します。
 本来であれば歩いて行く所ですが、距離が長いので今年は車で移動しました。
 祝詞を上げていただき、全員でお参りをしてお祭は終了し、公会堂に移動して直会(なおらい)です。

勝山神主さんは、久保の裏山が勝山で、住民の半数が勝山姓であることからも分かるように、ご先祖は久保に住んでおられました。
 この日は他に6個所の神事があるとおっしゃって、乾杯後すぐにお帰りになりました。
 神様も高速移動が必要な時代です。

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2007年 4月23日 「道普請」

きのうの午前中は気温がどんどん上昇し、長野で最高気温が25度を越えていきなり夏のような陽気になりました。
 「水中のしだれ桜」と「赤和観音のしだれ桜」へ向かう県内外の車がひっきりなしに通る道に久保神社の桜吹雪が盛んに舞い、アスファルトに模様を描いていました。

区の年中行事「道普請」開始時刻の午後2時ちょっと前から、北信五岳に降っている雨が西からの風に乗ってぱらぱらと落ち始めました。
 1組から7組まで割り振られている範囲の作業開始場所には、区民のみなさんが時間前にお集まりになり、天気の行方を心配しておられました。
 作業が予想以上にはかどった組と例年以上に手間取った組とありましたが、なんとか本降りにならず、予定の時間で終了しました。

作業終了を見計らったように雨が本降りとなり、公会堂にはかつてないほどの多くのみなさんがお集まりになりました。
 酒の肴は「鯖の水煮缶」が各人に1缶だけ、他には区長さんのお宅で用意された季節の野菜や煮物の入った重箱が彩りを添えていた、というのも昔から変わりません。

雨が降っているため、畑へ行って一稼ぎしようと早々に抜け出す人もなく、賑やかな宴が続いていました。
 公会堂の外には、植えてから間もないしだれ桜が花を咲かせています。
 あと50年もすれば、花見をしながらの宴会になるでしょう。

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2007年 4月14日 「謙信道」とトレッキング

森林組合さんに「裏の山」の杉の間伐をしていただいたので、後片付けをしました。
 山とはいっても面積は1反歩(10アール)ちょっとで、人前で山というのが憚られる面積でしかありません。
 それというのも、昭和40年代までは稲を作っていた場所で、今でも「裏の山」とはいわず、「裏の田」と呼んでいます。
 急斜面に14枚の小さな田がへばりつき、水平な田の面積よりも斜面の土手の面積のほうが多い、典型的な棚田でした。
 苦労する割に収穫は少なく、杉を植えて農地から山林にしてしまいました。

道端で、切り払われた枝をこなしていたら、男女の集団がぞろぞろと道を登ってきて、小旗を持った先達らしき人から「謙信道はこの道でいいですか」と尋ねられました。
 「謙信道」は戦国時代に越後の上杉謙信が通ったとされる古道で、赤和から来た「下堰(したせぎ)」に沿って急斜面を下る山道だったといわれています。
 その話をすると、分かったのか分からないのか、みなさんもくもくと歩いて行かれました。

桜が咲いていないのにこんな道を歩くのは、今年の大河ドラマが「風林火山」なので趣味で「謙信道」を辿る人たちなんだろう、と勝手に解釈していました。
 ところが家に帰って第8回信州高山桜めぐりトレッキングを見たら、『今年はNHK大河ドラマ「風林火山」にちなみ、その昔上杉謙信公が実際通ったといわれる「謙信道」をコースに取り入れ実施します。』とありました。
 便乗商法ならぬ便乗トレッキングといったところでしょう。
 桜はまだ蕾なので、お疲れさまです。

インターネットで「謙信道」を検索すると、どこかで見たようなページが最初に出てきます。
 こんなことなら、日本地理院の許可をいただいてもっとしっかりした地図を入れておくんだった。

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2007年 4月 7日 「道普請の下見」

久保区の役員の最初の仕事が「道普請の下見」と、引き続いて行われる役員会です。
 「道普請」は各戸から1名が参加して行う春の最大行事で、昔は文字通り道路の補修作業や草刈などが主な仕事でした。
 今は幹線道路や主要農道がほとんど舗装されているため、村の中心を流れる久保川と農道の側溝、それに隣の赤和地区から裏山を越えて水越地籍に水を引いている「上堰(うわせぎ)」「下堰(したせぎ)」の掃除が中心です。

午後1時半、村の入口にある久保神社境内に役員さんが集合し、全工程を歩いて川や用水路の詰まりや傷み具合などを点検する作業が「道普請の下見」です。
 終点の赤和地区にある取水口まで全長約2km、標高差約200mで、途中にある『謙信道』の急坂をよじ登る行程は、ちょっとしたトレッキングです。

去年は大きな災害がなく、水路の様子は例年と変わりませんが、「下堰」の一部は杉の落葉がびっしり埋まっていて、かなりの難航が予想されます。
 また、急峻な坂を滝のように流れ落ちる「上堰」の中間には大きな石が挟まっていて、取り出すには金梃子のような道具が必要なことも分かりました。

全工程を踏破してから公会堂に戻り、下見した結果をもとに「道普請」の役割分担を協議し、「下堰」の作業の難度を考慮し、久保川の清掃を例年とは変えることになりました。
 雨が降ると大変な作業になるので、当日はひたすら好天になることを祈るばかりです。

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2007年 4月 1日 区役員引継ぎ

今日から久保区も新年度がスタートし、旧例にならって役員の引継ぎが執り行われました。

午後3時、前年度の区長さんのお宅に前年度の役員さんが集まり、区の書類とキャビネット、防災用ヘルメットなどを積み込んで、今年度の区長さん宅へ運びます。
 引継ぎの内容は、(1)区に伝わる古文書、(2)現在の帳票類、(3)印鑑、賽銭箱や鍵、(4)申し送り事項などです。
 規約として定められていない取り決めや、お祭の主宰、他の区との契約事項などが毎年申し送りとして伝えられていきます。
 中には、今は文化財として保管している高井健(鴻山)書の大幟を年1回虫干しすること、といった項目などが含まれています。

公会堂が新築されて保管スペースができたことから、古文書は目録だけの引継ぎです。
 それまでは、代々の区長さんのお宅で保管されてきました。
 たまに古文書を紐解き、区の故事来歴などを調べる方もおられたでしょうが、ほとんどが保管だけだったようです。

最近はワープロやパソコンで引継ぎ書が作成されています。
 会計もパソコンの表計算で行われ、フロッピーが引き継ぎ書類?になりつつあり、伝統的な引継ぎも徐々に様変わりしています。
 引継ぎが終わると公会堂に移動し、前年度役員さんの慰労会です。
 座の決まりの北信流のお盃事も滞りなく行われ、こちらは伝統文化がしっかり継承されています。
 何はともあれ、18年度の役員さん1年間お疲れさまでした。

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2007年 3月24日 卒業

爺ちゃんと婆ちゃんの孫が卒業証を持って帰ってきました。
 これで7人の孫のうち3人が学校を卒業しました。
 可愛がっていた孫が4年間親元を離れて一人暮らしをし、無事卒業できたので爺ちゃんはとても喜んでいます。

これから社会に出ると、いろいろ悩んだり、失敗することもあるでしょう。
 それらをすべて自分の将来の糧にして成長して欲しいものです。

それにつけても基本は健康です。
 婆ちゃんは今年も頑張って野菜を作ってくれそうですので、婆ちゃんの野菜や果物を送ってやり、体調維持に役立てばと思っています。
 親はいつまで経っても卒業しません。

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2007年 3月21日 「村寄り」

今日は公会堂で久保区の総会があり、17年度の決算、18年度の役員と予算案などが承認されました。
 各戸から1名が出席して区の役員や行事などを決める総会を、昔から「村寄り」といってきました。
 現在は『認可地縁団体 久保区』の規約に基づいた総会で、議長を選出して議事を進行し、議事録もしっかり残されます。

久保区は2004年度に公会堂を新築するにあたり、法人格を有する『認可地縁団体』の認可を受け、これによって団体として不動産を所有し、登記することが可能になりました。
 『認可地縁団体』は1991年(平成3年)4月の地方自治法の改正によって設立が認められたもので、一定の要件を満たすことが認可の条件になっています。
 それ以前は法律的には団体として不動産の所有が認められず、代表者の個人名義でしか登記できなかったため、極端な場合には、区長さん個人が勝手に処分できる仕組みになっていました。

法律に裏付けられた総会とはいえ、実質は昔ながらの「村寄り」であり、区民の総意を得ることが物事を進める上の鉄則で、事前の根回しや”しきたり”も、円滑な地域生活には欠かせません。
 新しい役員を選挙で決めるに当たっても、当選者が辞退することのないよう事前に念を押すための”しきたり”として「三本締め」が行われます。
 総会終了後の懇親会でも、宴会のけじめとして「北信流」に従って「お盃」が取り交わされます。

宴会の最後の締めくくりは「万歳三唱」のやり取りが”しきたり”です。
 ところが今日はなぜか「万歳三唱」がありませんでした。
 「これも時代の流れなのか」と半分訝りながら帰宅された方も多かったようです。
 (執行部が「万歳三唱」動議を出していただく根回しを忘れていたのではないか、という影の声も聞こえていましたが、真相は不明です。)

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2007年 3月10日 『明石ちくわ』とキバナノアマナ

畑のくろでフクジュソウとキバナノアマナが咲き出しました。
 キバナノアマナは本州中部以北から北海道に分布する北国の植物で、西日本では珍しいそうです。
 インターネットで検索すると北海道のサイトがたくさん出てきますが、兵庫県ではBランクの絶滅危惧種に指定されているそうです。

去年の4月、兵庫県明石市にお住まいのTさんから、この花をご覧になりたいというメールをいただきました。
 我が家のりんご畑の隣にあるKさんのりんご畑は、トラクターで起耕せず、除草剤も使用しないため、春になるとキバナノアマナで全面覆われます。
 そこでKさんにお願いし、畑の中に入って写真を撮影する許可をいただいて、Tさんに連絡しました。
 朝早く明石から車でお越しになったTさんご一家は、Kさんのりんご畑に広がるキバナノアマナをご覧になり、すっかり満足されたご様子でした。

後日、Tさんからお礼だといって『明石ちくわ』が贈られてきました。
 しこしこと歯ごたえがあり、とても美味しいので、Kさんにもお裾分けさせていただきました。
 85歳まで元気に畑仕事をしておられたKさんでしたが、夏場になって急に体調を崩され、秋、りんごを収穫する前に鬼籍に入られました。

今年もKさんのりんご畑では一面に広がった黄色い花が見られそうです。
 この花を見ると、畑で顔を合わせるたびに「あのちくわ、あじいかったな(美味しかったな)」と喜んでおられたKさんのお元気だった姿が偲ばれます。

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2007年 2月25日 炭焼き

昨日は一日中強い風が吹いて時折吹雪になり、今朝は氷点下6℃まで冷え込んで、まるで寒に戻ったようでした。
 今日は気温が低かったものの風はなく、朝日の当たる前からあちこちで煙が上がって絶好の炭焼き日よりになりました。

我が家は未だに薪で風呂を焚き、できた熾きを掘り炬燵に入れています。
 風呂の熾きだけでは足りないないので、朝、消し炭を追加して夕方まで持たせています。
 この薪と消し炭を作るのが、春先の年中行事です。

りんごとぶどう、プラムを剪定して出た太い幹や枝はチェーンソーで一定の長さに揃えた後、薪割り機で割って薪にし、薪にならない細い枝は炭焼きをして消し炭にします。
 雪の多い年は畑に積もった雪を集めて消し炭を作りますが、今年はまったく雪がないので、家から桶に水を汲んで何回も軽トラックで運びました。

炭焼きはいつも3月の仕事で、こんなに早く済ませたのは記憶にありません。
 まだ2月なのにヒメオドリコソウが咲き、雑草が繁茂しているので、畑仕事も前倒しです。

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2007年 2月18日 「北信州の道草図鑑」の整理

剪定をしたりんごの枝で炭焼きをする予定でしたが、朝から霙が降っていたのでさっさと諦めて図鑑の整理をしました。

項目に薬草を追加し、薬効ごとに分類しました。
 風邪に効くものがたくさんあるので、咳や痰に効くものと解熱効果のあるものを別にしました。
 痛みを和らげるもの、胃腸に効くもの、利尿作用のあるものも多いのでそれぞれ分け、このほかは極めて大雑把にまとめました。
 薬効も分類も個人的なもので、医学的な根拠に基づいたものではありません。
 また、たくさんの薬効のあるものが大部分ですが、適当に一つにまとめています。

薬草のほかに、ハーブ、毒草、その他いろいろに使われるものも”役に立つ”ものとしてまとめました。
 毒草も区別できるように、”役に立つ”中へ入れました。
 薬草の中にも有毒成分を含んでいるものがあるので、両方に載せています。

薬効などの整理のついでに、漢字にルビがふれるように XHTML 1.1 に書き換え、文法チェックもしました。
 多少の見落としはあるでしょうが、これで一応整理は終了したことにします。
 あとは春になって咲き出す花の写真に差し替えるだけです。
 ただ今年と来年はいろいろ雑用が多くなり、花を追いかけている暇はなくなりそうです。

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2007年 2月11日 騎兵第15連隊

映画「硫黄島からの手紙」が話題になり、長野市の本屋にはこの映画の題材にもなった梯久美子著『散るぞ悲しき―硫黄島総指揮官・栗林忠道―』が山積みされ、巷では『硫黄島ブーム』が起きているそうです。
 埴科郡西条村(現在の長野市松代町西条)出身の栗林忠道の経歴を見ると、陸軍士官学校を卒業して騎兵将校となり、昭和12年(1937年)には陸軍騎兵大佐にまで昇進し、この間、騎兵がらみの役職を歴任しています。
 映画でも馬好きの将軍として、ロサンゼルスオリンピック馬術金メダリストの西中佐との絡みが描かれています。
 爺ちゃんも馬が好きで、軍隊には騎兵として入隊したので、ひょっとしてどこかに接点があるのではないかと調べてみました。

爺ちゃんは1940年(昭和15年)1月に千葉県習志野の騎兵第15連隊に入隊しました。
 この部隊は栗林忠道が1914年(大正3年)に陸軍士官学校を卒業後、陸軍少尉・騎兵第15連隊付として赴任しており、その後、騎兵学校を経て陸軍大学校を優等卒業し、1923年(大正12年)には中隊長として就任した連隊です。
 さらに1940年3月、陸軍少将に昇進した栗林忠道は、騎兵第15連隊と騎兵第16連隊からなる騎兵第2旅団長に就任しています。
 つまり爺ちゃんは栗林忠道の一番下っ端の部下だったことになります。
 栗林忠道は1940年12月に騎兵第1旅団長に異動したため9ヶ月間の部下でしたが、もちろんそんなことを一兵卒の爺ちゃんは知る由もありません。

やがて戦争形態の変化に応じて1941年(昭和16年)には騎兵が全面的に機甲兵となり、騎兵第2旅団は他旅団に先だって解隊され、部隊は旧満州(中国東北部)に移動しました。
 部隊とともに旧満州へ行った爺ちゃんは1942年(昭和17年)の暮れに除隊し、騎兵との関連はここで終わっています。
 その後、1944年(昭和19年)、小笠原兵団長兼第109師団長に就任した栗林忠道は硫黄島へ赴任してそのまま帰らず、同時期に再び召集された爺ちゃんは第54野戦道路隊に入隊して中国南部へ行き、1946年(昭和21年)6月に帰宅しました。

婆ちゃんは活字の小さい『散るぞ悲しき』を一生懸命読んでいました。
 正月に遊びに来た親戚は、去年、旅行したときにたまたま栗林忠道の奥さんの姪の方とご一緒になり、その方が「硫黄島からの手紙」の話をしておられたそうです。
 これまで雲の上の存在だった栗林忠道が、騎兵第15連隊などで接点があったことで、とても魅力的な存在になりました。
 ただ爺ちゃんはずくがなく、『散るぞ悲しき』を読む気はなさそうです。

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2007年 2月 1日 「季語の花」

暖冬で日中は春のような陽気になり、畑の雪が消えた場所ではハコベやオオイヌノフグリが咲き出しています。
 それでも朝晩は氷点下のことが多く、道ばたの花が一斉に咲き出すのはもうちょっと先になるので、冬の間はもっぱら道草図鑑の整理・整頓です。

まず手始めとして、見出しの項目に「季語の花」を設け、季語に使われている花を集めることにしまた。
 これまで長野郷土史研究会さんの「一茶発句全集」を参考にして一茶の句を添え、 「広辞苑」の引用から季語を抜き出していましたので、「冬」と「新年」、「春」、「夏」、「秋」のページを作って該当する小さな写真を貼り付けました。
 季語には花だけでなく実や茸もあるので、各ページのタイトルは「季語の花・実」 【新年】などとしています。

まだ途中ですが、身のまわりの花や実ばかりを集めたにしてはずいぶんたくさんあるのに驚きました。
 俳句はそれだけ身近な植物を素材にしているということなんでしょうね。

道草図鑑は手当たり次第追加してきたものが茸も含めて900種を超えました。
 ただ、自分ながらできの悪い写真ばかりです。
 これからは新種の追加はあまり見込めないので、不出来な写真の更新が主になります。
 暖冬の影響で開花時期は去年よりずいぶんと早まりそうです。

(ちなみにGoogleで「季語の花」を検索したら、1ページ目に出てきました。 どういう仕組みになっているんでしょうねえ。)

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2007年 1月26日 信濃グランセローズ

昨日1月25日、北信越BCリーグのドラフト会議が東京で行われ、信濃グランセローズに選ばれた選手と首脳陣の写真が今朝の信濃毎日新聞に載っていました。
 もちろん、すでに地元関係で内定していたおらほの”ひでちゃん”も写っています。

23日には、信濃グランセローズが中野市営野球場を練習拠点にすると発表されていました。
 この野球場は、我が家の近くにある”ひでちゃん”の実家からは約16キロメートルくらいの距離なので、頑張り屋の”ひでちゃん”なら、トレーニングを兼ねて自転車でも通えます。

チームを運営する長野県民球団幹部のNさんから「後援会を作って応援すれば選手も励みになる」とメールをいただきました。
 (そういえば、NさんはN高校のクラブでA中野市長さんの2年後輩でしたね。)
 近所には”ひでちゃん”が高山村少年野球チーム時代の監督K・Kさんや、N高校野球部で北村弁護士(あの「行列のできる法律相談所」で御馴染み)の1年後輩だったK・Nさんもいるので、みなさんを誘って、横断幕でも作って応援に行きたいと思います。
 頑張れ!”ひでちゃん”!
 突っ走れ!グランセローズ!!

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2007年 1月 2日 「田舎暮らしの夢」

ここ数年、「第二の職場に移りました」とか「昨年退職しました」という年賀状をいただくことが増えてきました。
 昭和20年代前半生まれの団塊世代が大量に定年を迎える2007年問題が、身の回りでも本格化してきたようです。

3大都市圏に居住している団塊世代のうち26〜40%が地方への移住を希望し、移住希望先のベストスリーは沖縄・北海道・信州という調査結果があるそうです。
 自然相手にのんびりやっているので、これなら移住してすぐ本格的な生活ができるように見えるんでしょう。
 「田舎暮らし」は長年都会で頑張りつづけてきた企業戦士の夢かもしれませんね。

伊那谷を拠点にして動物の生態写真を撮りつづけておられる宮崎学さんが、「田舎暮らしの夢」という記事をブログに掲載しておられます。
 伊那谷の自然を知悉しておられる宮崎さんならではの警鐘が含まれています。
 同世代の夢がかなうよう、このウェブページが少しでも役に立つような情報を発信したいものです。

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